以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。
ここに、古事記に用いられている字音仮名について、「清音仮名」「濁音仮名」「清濁両用仮名」の三種にわたり、その一斑を掲げる。字音仮名にせよ、字訓仮名にせよ、その研究は、あくまで事実に立脚し、記紀万葉はもちろん、古風土記・同逸文・仏足石歌・正倉院文書のごとき奈良時代の文献、または「大日本古文書」、およびこれに準ずる古文献たる古語拾遺・宣命・祝詞などに用いられている仮名全部にわたって検討し、そこから帰納的に結論をくだすべきで、記伝のごとく、演繹的独断的に、「この仮字は斯く訓ずべし」と独断して、個々の仮名の訓法を律しようとするような非科学的な態度は厳に戒めねばならぬ。ことに、記の仮名遣のみが正しく、他には誤りが多いなどという記伝の態度は、絶対に排すべきものである。また、記には呉音のみを用いて漢音を用いることがないとか、紀は漢音・呉音を併せ用いているなどという記伝の言も、事実を無視していることに注意しなければならぬ。こうした独断的態度から、おびただしい誤訓が生じ、したがって語句の解釈に重大な誤謬が生じているのである。
よって、ここには、この字音仮名は、かく訓じているという事実を示す。下の括弧内は、底本すなわち「訂正古訓古事記」の丁数(オ・ウ)である。
その一 古事記の清音仮名
ア(a) | 「阿」の一字だけである。記伝は、「此の外に、延佳本又一本に、白檮原の宮(神武天皇)の段に、亜亜といふ仮字あれども、誤字と見えたり。」と言うが、これは「亜亜」と訓ずべき文字で、記伝の説は誤りである。 |
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イ(i) | 「伊」の一字だけである。紀にはヤ行のイ()なる「移」があるが、記には存在しない。なお、ヰ()参照。 |
ウ(u) | 「宇」の一字だけである。記伝は「宇」「恩」の二字をあげているが誤りである。次項参照。 |
ウ | 「恩」の一字だけである。「於二天之石屋戸一伏二恩気一」(上、二十五ウ)とある。この「恩気」は「桶」の古語であり、この「恩」はワ行の「ウ」である。「恩」は「汚」と同字であり、漢音はであるが、呉音はである。書紀には、「覆槽置、此云二于該布西。」とあるが、この「于」は「恩」の省字であろう。いずれにせよ、上代ではア行の「ウ」とワ行の「ウ」とは、はっきり区別して発音されていたものと信ずる。万葉十四の三二八四に字音仮名で「遠家」とある。この「遠」は漢音であり、呉音が漢音に転じたのである。 |
エ(e) | 「愛」「亜」の二字である。記伝は「愛」「延」の二字をあげ、「亜」をあげていないが誤りである。また、「延」はヤ行のエ()であるから、ここにあげるべきではなく、「亜」の古音は「衣」であるから、ここにあげるべきである。この「亜」を諸本は「疊」に誤写しているが、これは「疊」の略体「畳」の草体が「亜」に類似していることからの誤写である(中七オ参照)。延本には、はっきりと「亜亜」とあり、真本も「疊疊」の右に「亜亜御本」と傍書している。記伝は「亜亜」を「アア」と読むものと信じて、下の「阿阿」と重なるから誤写と考えたのであろう。しかし、「疊疊」を「エエ」と訓ずることはあり得ないことである。本書は、延本および真本の傍書に従って、底本等の用字を改める。 |
エ | 「延」の一字だけである。この「延」は明らかにヤ行の「エ」である。ア行の「エ」とヤ行の「エ」との別は、奥村栄実の「古言衣延弁」などで立証されている。しかるに、記伝は、「阿伊宇延於」などと書き、ア行の「エ」とヤ行の「エ」とを同音のように考えている。しかし、上代人がeととを、はっきり区別して発音していたことは疑うべくもない。いま、古事記に、ヤ行の「エ」、すなわち「延」を用いている箇所を見ると、名詞の「入江」「枝」「賃」「吉野」などの「え」には必ず「延」を当てている。紀にはヤ行の「エ」には必ず「延」「曳」「叡」を当て、ア行の「エ」の「愛」「哀」「埃」などと、はっきり区別している。「えしの」は、万葉などに「芳野」ともあり、明らかにヤ行の「エ」である。また、古事記において、動詞の「聞え」「栄え」「見え」などの「え」には、必ず「延」を当てていて、例外がない。これらの動詞は、すべてヤ行下二段の語である。上代人が、これらの「エ」をと発音していたことは明らかである。なお、ヱ参照。 |
オ(o) | 「意」「淤」「隠」の三字である。このうち、「意」は「オ」の音を表わす文字ではないから、「億」の省字と見るべきである。記にはニンベンを省略することが多い。「健」を「建」、「倶」を「具」と書く類。なお、ヲ()参照。 |
カ | 「可」「訶」「甲」の三字である。記伝は、清音に「加」「聟」「訶」「甲」「可」の五字をあげているが、事実に反する。「加」「聟」の二字は清濁両用である。その条参照。 |
キ | 「伎」「吉」(甲類)、「幾」「貴」(乙類)の四字である。記伝は清音に「伎」「紀」「貴」「幾」「吉」の五字をあげているが、事実に反する。このうち、紀(乙類)は清濁両用である。その条参照。また、記伝は類を分けていないが、奥山路が二類に分けているのが正しい。別項「甲類」「乙類」の条参照。ただし、奥山路は清音に「棄」(甲類)をあげているが、これは記伝の濁の方が正しい。濁音「ギ」の条参照。 |
ク | 「久」「玖」「具」の三字である。記伝・奥山路とも「久」「玖」の二字をあげ、「具」を濁音としている。「具」の濁音であることは正しいが、記伝は雄略天皇の段の歌謡を「阿岐豆波夜具比」(下三十四ウ)などと誤訓しているが、延本の訓「アキツハヤクヒ」が正しい。書紀には「婀枳豆波野倶譬」とある。「はや」は副詞であり、「くひ」は動詞の連用形である。副詞に続く動詞が連濁になるはずはない。名詞ならば、「いかものぐい」「大飯ぐい」などとも言うが、ここは断じて「グヒ」ではない。すなわち、ここの「具」は「倶」の省字と見なければならぬ。記はニンベンを省くことが多い。「億」を「意」に、「健」を「建」に作る類である。しかし、諸本みな「具」に作っているから、今は訂正せずに、文字はそのままとし、訓は「ク」に改める。なお、万葉には「具」を「ク」と訓じている例がある。 |
ケ | 「計」(甲類)の一字である。記伝・山路とも、清音に「豆」「気」の二字をあげて、「計」をあげていないが、「計」は延本その他に用いてあり、他に「斗」に誤っている本もある。記伝は「斗」を正しいと見、「計」は記中に仮字として用いた例がないから誤りであるとする。「計」と「斗」とは草体の類似から、よく混同されている。真本などは、「斗」を多く「計」に誤写している。記中に「計」の仮名を用いた例がないから誤写だとする記伝の論理は通じない。記中に、ただ一か所しか用いていない仮名には「恩」「下」「侶」その他多くの例がある。しかるに「計」は延本等に二か所も用いられているのである。記伝は雄略天皇の段の歌謡「阿佐斗」「由布斗」(下四十オ)を「朝戸」「夕戸」と解しているが、雄略天皇が「朝戸夕戸に依りかかられる」では、すねた娘のようである。すなわち、延本等の「阿佐計」「由布計」が正しく、「朝けには、い依り立たし、夕けには、い依り立たす脇突の下の板にもが、あせを」である。万葉一の三の「やすみしし、わが大王の、朝には、とり撫でたまひ、夕には、い倚りたたしし、み執らしの、梓弓の、長弭の音すなり」の「朝」「夕」と同趣である。今日でも、記伝の誤字・誤訓に従っている人が多いが、検討の不足によるものである。また、奥山路が「豆」と「気」とを一類としているのは、紀などの例から見て、明らかに誤りである。この二字は類を異にするものである。しかも、「豆」「気」の二字は清濁両用である。 |
コ | 「古」「故」「胡」「高」(甲類)、「許」(乙類)の五字である。記伝・奥山路とも清音に「去」をあげているが、これは明らかに「志」の誤写である。「阿斯波良能志豆志岐袁夜」(葦原の醜しき小屋)(中十二ウ)である。したがって、記から「去」の仮名は消失する。 |
サ | 「左」「佐」「沙」の三字である。ここには、問題はない。 |
シ | 「志」「斯」「師」「色」「紫」「芝」「之」の七字である。記伝・奥山路とも「之」をあげていないが、「所堅之美豆能小佩」(中三十七ウ)などの「之」は明らかに字音仮名であり、漢字の助字ではない。この「シ」は助動詞「き」の連体形であり、片かなの「シ」も、平がなの「し」も、「之」から出ている。こうした重要な仮名を見落すのは疎漏である。なお「士」は清濁両用である。 |
ス | 「須」「洲」「周」の三字である。人によっては、「洲」を誤字として「州」に改めている者もあるが、「洲」は必ずしも誤字ではない。正字通に、「洲、説文作レ州。水中可レ居曰レ州。後人加レ水以別二州県一。」とあり、王注に、「今関耕作レ洲。乃俗別字也。」とある。すなわち、「洲」は誤字ではなくして、「州」の俗字なのである。 |
セ | 「勢」「世」の二字である。ここには、問題はない。 |
ソ | 「蘇」「宗」「素」(甲類)の三字である。記伝・奥山路とも「素」をあげていないが、「卓素」「西素」(中七十五オ)などの人名があり、記伝もそう読んでいるから、字音仮名として当然あげるべきである。外国人の名であろうがあるまいが、この「素」は明らかに字音仮名である。また、記伝は清音に「曽」(乙類)をあげているが、これは清濁両用である。この条参照。 |
タ | 「當」「他」の二字である。記伝・奥山路とも、「多」を清音のみの仮名、「陀」を濁音のみの仮名としているが、「多」「陀」は清濁両用である。その条参照。 |
チ | 清音専用の仮名なし。記伝・奥山路とも、清音に「知」「智」をあげ、濁音に「遲」をあげているが、これらの三字は清濁両用である。その条参照。 |
ツ | 清音専用の仮名なし。記伝・奥山路とも「都」を清音のみの仮字、「豆」を濁音のみの仮字としているが、この二字は清濁両用である。その条参照。今日の古事記研究書の多くは、この謬説に従っているが、断じて非。 |
テ | 「帝」「鵜」の二字だけである。記伝・山路とも、清音に「弖」をあげているが、「弖」は清濁両用である。また、記伝・奥山路とも「鵜」をあげていないが、底本にも、真本・延本等にも用例があるから、当然あげるべきである。「弖」と「鵜」は必ずしも同字ではない。 |
ト | 「土」(甲類)、「等」(乙類)の二字だけである。記伝や奥山路は、清音に「登」「斗」「刀」、濁音に「杼」などをあげているが、これらはすべて、清濁両用である。その条参照。 |
ナ | 「那」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ニ | 「爾」「邇」「仁」の三字である。記伝・奥山路とも「仁」をあげていないが、「仁番」(中七十五オ)の「仁」は字音仮名である。平がなの「に」は「仁」から来たものであるから、「仁」をあげないのは疎漏である。 |
ヌ | 「奴」「怒」の二字だけである。記伝は同一の音として「奴」「怒」「濃」「努」の四字をあげ、奥山路は「怒」「努」の一類と、「奴」「濃」の一類とに分けている。しかし、橋本進吉氏は、
竜麿の研究では「ヌ」が二類に分れることになってゐますが、私はさうではなく、「ノ」が二類になるのだと思ひます。「ノ」が二類に分れ、「ヌ」は唯一つだけであります。(国語音韻の研究、一五七貢)と述べている。すなわち、記伝のあげた「濃」「努」などは「ノ」の甲類である。しかるに、今日の古事記研究書の多くは、「ノ」の甲類を「ヌ」と訓じている。宣長らの説に惑わされているのである。 |
ネ | 「泥」「尼」「斑」の三字である。ここには、問題はない。 |
ノ | 「奴」「怒」「濃」(甲類)、「能」「乃」(乙類)の六字である。記伝・奥山路とも乙類の「能」「乃」をあげて、甲類の四字をあげていない。これは、甲類の四字を「ヌ」と誤訓しているからである。このうち、「奴」「怒」は「ヌ」とも訓ずるが、それは語によることであり、「野」に当てた「奴」「怒」「濃」「努」、または名詞の「篠」「角」、動詞の「偲ぶ」「賞ぶ」「凌ぐ」、形容詞の「楽し」、副詞の「しのに」などの「の」は、上代でも「の」と発音していたこと、西本願寺本の万葉などの訓に徴するも明らかなことであり、また、記伝より百年も前の延本などの訓に徴しても明らかである。これらの「ノ」を「ヌ」と訓ずるようになったのは、宣長や竜麿らの時代の国学者の誤りである。橋本進吉氏は、次のように述べている。
「怒」の類の仮名で書かれている「野」「角」「偲」「篠」「楽」などの諸語は、万葉集の訓でも古くは「の」「つの」「しのぶ」「しの」「たのし」と読んでゐたのですが、江戸時代の国学者が「ぬ」「つぬ」「しぬぶ」「しぬ」「たぬし」と改めたものです。(国語音韻の研究、一五八頁)そして、この説は、今日の国語学界では、定説となっているものである。しかるに、今日の古事記研究書の中にも、まだ甲類の「ノ」を「ヌ」と誤訓しているものがある。記伝などの説が、いかに悪影響を及ぼしているかを思うべきである。 |
ハ | 「貝」の一字だけである。記伝・奥山路とも「貝」をあげていないが、「阿貝知能三腹郎女」(中六十七ウ)は、「淡路の三原の郎女」である。この「貝」を諸本は「具」に誤写しているが、いま改める。「貝」の音は「ハイ」であり、「ハ」の音に当てた字音仮名である。底本は「具」をそのままにして「ハ」と訓じているが、「具」を「ハ」と読むことはできない。真本などには、「具」を「貝」に誤写している箇所が多いが、ここは反対に、「貝」を「具」に誤写したものである。字形の類似による。人によっては、「具は恐らく波の誤りであろう。」などと見ている者もあるが、字形があまりに違いすぎる。また、記伝・奥山路とも「波」を清音、「婆」を濁音として掲げているが、常識にすぎないのみならず、事実に反する。この二字とも清濁両用である。その条参照。 |
ヒ | 「卑」(甲類)、「肥」「斐」(乙類)の三字である。記伝・奥山路とも清音に「比」、濁音に「毘」を掲げているが、「比」「毘」は清濁両用である。この点は記伝の根本的な誤りであり、後世に及ぼした悪影響は、きわめて大きく、今日の古事記研究書のほとんどすべては、記伝の誤訓に従っている。なお、「毘」は真本・延本・書紀等すべて「豐」の字形を用いているから、本書はそれに従う。清濁両用「ヒ」「ビ」参照。 |
フ | 「賦」「服」の二字だけである。記伝・奥山路とも、清音に「布」、濁音に「夫」「服」をあげているが、この「服」は清音、「布」「夫」は清濁両用である。その条参照。これ、「志努布」を「シヌフ」、「波夫良婆」を「ハブラバ」、「伊服岐能山」を「イブキの山」などと誤訓する因をなしているものである。 |
へ | 「幣」「弊」「平」(甲類)、「閉」(乙類)の四字である。記伝・奥山路とも「弊」をあげていないが、「弊岐君」(中七十找オ)などもあるから、当然あげるべきである。なお、真本・延本その他は「へ」の仮名を「弊」に作っている箇所が多いが、同音であるから、しばらく記伝に従っておく。 |
ホ | 「富」「本」「菩」「番」「蕃」「品」の六字である。ここには、問題はない。 |
マ | 「麻」「摩」「馬」の三字である。記伝・奥山路とも、「馬」をあげていないが、「青沼馬沼押比賣」(上四十四ウ)、「御馬王」(下十四オ)などがある。「馬」は字音仮名であるから、当然あげるべきである。 |
ミ | 「実」「彌」(甲類)、「微」「味」(乙類)の四字である。記伝は分けていないが、奥山路は二類に分けている。しかし、「美」と「微」とが果たして異なる音であるか杏かについては、すこぶる疑問である。別項「甲類・乙類の仮名」参照。 |
ム | 「牟」「武」「无」の三字である。ただし、記伝は例外なく「无」を「旡」に誤っている。「旡」の音は「キ」であって「ム」ではない。この誤字に従っている人が多いが、断じて非。 |
メ | 「賣」「怡」(甲類)、「米」(乙類)の三字である。記伝は分けていないが、奥山路は二類に分けている。また、記伝は「怡」を「○」と書くべきであると言うが、康煕字典などにも「怡」とあり、羊の鳴く声から来た文字であるから「怡」でよい。 |
モ | 「母」「毛」「木」の三字である。記伝・奥山路とも「木」をあげていず、記伝は「加邪木津別之忍男神」(上六ウ)の「木」を「ゲ」と訓じている。「木」は訓で「き」「け」「こ」と読む文字であり、呉音では「モク」と訓ずる文字であるから、「ゲ」と訓ずるのは誤りであるのみならず、訓注に、「訓レ風云二加邪、訓レ木以レ音。」とある。「モク」を「モ」の仮名に当てるのは当然である。延本等は訓注に従って「木」を「モ」と訓じている。いま、延本等の訓に従う。 |
ヤ | 「夜」「也」の二字である。ここには、問題はない。 |
ユ | 「由」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ヨ | 「用」(甲類)、「余」「與」「豫」(乙類)の四字である。記伝は分けていないが、奥山路は二類に分けている。 |
ラ | 「良」「羅」の二字である。ここには、問題はない。 |
リ | 「理」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ル | 「琉」「流」「留」の三字である。ここには、問題はない。 |
レ | 「禮」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ロ | 「漏」「路」「盧」「樓」(甲類)、「呂」「侶」(乙類)の六字である。記伝は分けていないが、奥山路は二類に分けている。 |
ワ | 「和」「丸」の二字である。ここには、問題はない。 |
ヰ | 「韋」の一字だけである。上代人は「伊」(i)の音と「韋」音とを、はっきり区別して発音していた。 |
ヱ | 「惠」の一字だけである。上代人は、「亞」「愛」(e)と「延」と「惠」との音を、はっきり区別して発音していた。 |
ヲ | 「袁」「蘚」の二字である。上代人は「意」「淤」「隠」(o)と「袁」「蘚」とを、はっきり区別して発音していた。平がなの「を」は、「蘚」から出たものである。 |
その二 古事記の濁音仮名
濁音は、ガ行・ザ行・ダ行・バ行の二十個の音であって、それ以外の音を清音と称するのに対する。いったい、音が「にごる」とか「すむ」とかいうのは、どういう意味か、はっきりしないが、シナの音韻書「韻鏡」などでも、個々の漢字の音を「清」「濁」で示している。国語の濁音は、音声学的にいえば、G・Z・D・Bの有声子音が母音と結合して、ガギグゲゴ、ザジズゼゾ、ダヂヅデド、バビブベボとなるものであり、k・s・t・hの無声子音が母音と結合して、カキクケコ、サシスセソ、タチツテト、ハヒフヘホとなるものに対するとされている。ただし、発声器管の位置は、バ行の有声子音Bと、マ行の無声子音mとが近いと思われるが、ここでは、そうした議論には立ち入らない。
次に端的に、古事記に用いられている濁音専用の字音仮名を掲げよう。
ガ | 「何」「我」「宜」の三字である。「宜」は下九ウに「須宜波良」とあり、「菅原」の意。「スゲハラ」の訓は非。大島正健氏著「漢音呉音の研究」三五頁、四三頁参照。 |
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ギ | 「棄」(甲類)、「疑」(乙類)の二字である。奥山路が「棄」を「キ」としたことの非は、上に述べてある。 |
グ | 「具」の一字だけである。「具」を清音の仮名とすべき箇所(下三十四ウ)があるが、それは「倶」の省字と見るべきであろうこと、〔その一〕で述べたとおりである。 |
ゲ | 「牙」「下」(甲類)、「宜」(乙類)の三字である。 |
ゴ | 「其」「基」(甲類)の二字である。 |
ザ | 「奢」の一字だけである。記伝・奥山路などは「邪」をあげているが、「邪」は清濁両用である。 |
ジ | 「自」の一字だけである。記伝・奥山路とも「士」をあげているが、「士」は清濁両用である。 |
ズ | 「受」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ゼ | 「是」の一字だけである。ここには、問題はない。 |
ゾ | 「敍」「存」(乙類)の二字である。記伝には「存」をあげていないが、「許存」(昨夜)(下二十オ)がある。また、記伝・奥山路とも「曽」を清音としてあげているが、「曽」は清濁両用である。 |
ダ | 「太」の一字だけである。「多」「陀」などは清濁両用である。 |
ヂ | 「治」「地」の二字である。「知」「智」「遲」などは清濁両用である。その条参照。 |
ヅ | なし。「都」「豆」とも清濁両用である。その条参照。 |
デ | 「伝」「殿」の二字だけである。「弖」は清濁両用である。その条参照。 |
ド | 「縢」「騰」(乙類)の二字である。「度」「刀」「斗」(甲類)、「杼」「登」(乙類)などは清濁両用である。その条参照。 |
バ | なし。「波」「婆」とも清濁両用である。その条参照。 |
ビ | 「備」(乙類)の一字だけである。「比」「豐」(甲類)とも清濁両用である。その条参照。 |
ブ | なし。「夫」「布」とも清濁両用である。その条参照。 |
ベ | 「辨」「倍」(乙類)の二字である。 |
ボ | 「煩」の一字だけである。ここには、問題はない。この「煩」を「ホ」と訓ずべしとの説があるが、首肯されぬ。 |
その三 古事記の清濁両用仮名
記伝は、古事記において清濁両用の字音仮名は一つも存在しないと考えている。した がって、いたるところで、口をきわめて「記中清濁を混へること一つもなし。」と力説 し、その例外の仮名遣に出会うと、ただちに「誤写にてもあるべし。」などと言ってい る。しかし、その誤写であるという証拠は、今日までのところ全く発見されていないし、 恐らく将来も発見されないであろう。このことは、記伝の根本的な誤謬である。 まず、記伝の言うところを見ると、たとえば、
此の記また書紀万葉は、分けて用ひたる中に、此の記は殊に正しければ、厳かにその清濁を守りて読むべし。一つといへども、私に輙く変へ読むべきにあらず。(旧活字本「古事記伝」三九頁)
と述べている。そもそも「此の記は殊に正しければ」などということは、何に基づいての立言であろうか。なんらの根拠も理由も示していないのであるから、宣長の独断的信念によるものと断定せざるを得ない。宣長は、右のように力説していながら、記伝の「仮字の事」の条において、「岐」を「清濁通用」としている。これは、はなはだしい矛盾であり、自家撞着である。これ、事実の前には、自説の矛盾を認めざるを得なかったことを物語るものでなければならぬ。また、記伝は、次のようにも述べている。
一つごとに此の記の清濁に依りて読むべし。但し日子日女と書けるは、今弁へがたし。
これは「びこ」「びめ」と読むべきを「日子」「日女」と書いているのを不審としているのであろう。これなどは、記伝の独断的信念の破綻を示す以外の何物でもないであろう。そして、これらの高調力説に圧倒されてか、今日の古事記研究書のほとんどすべては、記伝の誤訓に盲従して、それから一歩も出ることができないかのようである。
本書は、厳重に諸本を校合し、その事実に基づいて帰納し、記中の清濁両用の字音仮名を掲げる。そのために、前二項とは少しく趣をかえて特に注意すべきものは、具体例をやや多くあげることとする。
カ・ガ | 「加」「賀」「聟」 の三字である。 |
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キ・ギ | 「岐」「紀」「藝」の三字である。 |
ク・グ | 「具」の一字だけである。 |
ケ・ゲ | 「豆」「氣」 の二字である。 |
コ・ゴ | 「碁」 の一字だけである。 |
サ・ザ | 「邪」の一字だけである。 |
シ・ジ | 「士」の一字だけである。 |
ス・ズ | なし。 |
セ・ゼ | なし。 |
ソ・ゾ | 「曽」の一字だけである。 |
タ・ダ | 「多」「陀」の二字である。 陀 清│宇多陀怒斯(「うたた楽し」の約)中六十六ウ 淤斐陀弖流(生ひ立てる)下三十七ウ(「タ」は漢音) 濁│阿加陀麻(赤玉)上七十一ウ 伊麻陀(未だ)上三十八ウ(「ダ」は呉音) |
チ・ヂ | 「知」「智」「遲」 の三字である。 |
ツ・ヅ | 「豆」「都」の二字である。「豆」が最も多く誤訓されている。 都 清│伊都久(斎く)上十六オ 都久由美(槻弓)下二十三ウ 濁│志都歌(静かにうたう歌。一説、機織の歌)下九オ |
テ・デ | 「弖」の一字だけである。 |
ト・ド | 「斗」「刀」「度」(甲類)、「杼」「登」(乙類)の五字である。 刀 清│布刀玉命(神名)上二十四ウ 濁│麻刀比(惑ひ)上七ウ 度 清│神度劔(太刀の名)上五十二ウ 濁│伊斯許理度賣(神名)上二十四ウ 杼 清│杼富禮(通れ)下二十三オ 須賣伊呂杼(天皇の弟。「いろと」は「いろおと」の略)下五十二オ 袁杼比賣(少江の意の人名)下三十六ウ 濁│知杼理(千鳥)上三十九ウ 那杼理(「なごやかな鳥」の意)上三十九ウ都摩杼比(妻問ひ)下三十ウ 登 清│袁登賣(少女)上三ウ 夜麻登(大和)中十一オ 濁│知登理(千鳥)中五十六ウ |
ハ・バ | 「波」「婆」 の二字である。 婆 清│伊麻許曽婆(今こそは)上三十九ウ 須岐婆奴流(鋤き撥ぬる)下三十六ウ~三十七オ 濁│斯婆加岐(柴垣)下四十二ウ 奴婆多麻能(ぬばたまの、枕)上三十九ウ |
ヒ・ビ | 「比」「豐」(甲頻)の二字である。「豐」が最も多く誤訓されている。 |
フ・ブ | 「布」「夫」 の二字である。 |
へ・べ | なし。 |
ホ・ボ | なし。 |
以上の三十二字が、古事記に用いられている清濁両用の字音仮名である。これは、事実に立脚しての帰納である。記伝は「記中清濁を混へること一つもなし。」と力説していながら、上述のごとく「岐」を「清濁通用」としているが、「岐」以外にも、記伝自身が同一の字音仮名を清濁両音に訓じている例はきわめて多いのである。たとえば、「賀」を「カ」「ガ」に、「気」を「ケ」「ゲ」に、「曽」を「ソ」「ゾ」に、「知」を「チ」「ヂ」に、「智」を「チ」「ヂ」に、「豆」を「ツ」「ヅ」に、「斗」を「ト」「ド」に、「度」を「ト」「ド」に、「登」を「ト」「ド」に、「波」を「ハ」「バ」に、「婆」を「ハ」「バ」に、「比」を「ヒ」「ビ」に、「豐」を「ヒ」「ビ」に、というふうに枚挙にいとまがないほどである。このように、清濁に関する記伝の立言は、なんら客観的根拠のあるものではない。そして、これら清濁両用の仮名は、諸本みな同じであって、決して誤写ではないのである。なお、くわしくは、本書巻末の「清濁両用字音仮名語彙一覧」を参照されたい。
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