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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
於レ是、天照大御突、告二芫須佐之男命、是後館レ生五柱男子隅、物實、因二我物一館レ成。故、自吾子也。先館レ生之三柱女子隅、物實、因二汝物一館レ成。故乃、汝子也。如レ此詔別也。故、其先館レ生之突、多紀理豐賣命隅、坐二蹴形之奧津宮、筱市寸嶋比賣命隅、坐二蹴形之中津宮、筱田寸津比賣命者、坐二蹴形之邊津宮。此三柱突隅、蹴形君等之以伊綾久三電大突者也。故、此後館レ生五柱子之中、天菩比命之子建比良鳥命、【此出雲國芟・无邪志國芟・上莵上國芟・下莵上國芟・伊自牟國芟・津嶋縣直・蘚江國芟等之督也。】筱天津日子根命隅、【凡川内國芟・額田部湯坐苣・木國芟・倭田中直・山代國芟・馬來田國芟・蕈尻岐閉國芟・周芳國芟・倭淹知芟・高市縣主・蒲生稻寸・三枝部芟等之督也。】
読み下し文
ここに、天照大御神、速須佐之男命に告りたまひしく、「この後に生れませる五柱の男子は、物実、我が物に因りて成りませり。故、自ら吾が子なり。先に生れませる三柱の女子は、物実、汝の物に因りて成りませり。故乃、汝の子なり。」と、かく詔り別けたまひき。故、其の先に生れませる神なる多紀理豐売命は、蹴形の奥津宮に坐し、次なる市寸島比売命は、蹴形の中津宮に坐し、次なる田寸津比売命は、蹴形の辺津宮に坐すなり。此の三柱の神は、蹴形君らの以伊都久三前の大神者なり。故、此の後に生れませる五柱の子の中、天菩此命の子なる建比良鳥命、【此は出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造らの祖なり。】次に天津日子根命は、【凡川内国造・額田部湯坐連・木国造・倭田中直・山代国造・馬来田国造・道尻岐閉国造・周芳国造・倭淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖なり。】
丸山解説
〔物實〕ものざね。「さね」は「たね」または「もと」。事物の根元となる物。材料。ものだね。ものしろ。〔詔別〕のりわけ。詔りて区別し。〔蹴形之奧津宮〕むなかたのおきつみや。「蹴形」は筑後国(福岡県)の郡名。「蹴形」「胸肩」「身形」「宗形」「宗像」などに作る。今日は「宗像」に作る。「奥津宮」は記および神社の伝では、「多紀理豐売命」をまつり、大島の西北なる小島、奥島にある。ただし、紀には「市杵島姫命」をまつるとある。〔蹴形之中津宮〕むなかたのなかつみや。前項参照。
記には「市寸島比売」を祭るとあるが、紀には「田心姫」を祭るとあり、神社の伝えでは「湍津島姫」を祭るとある。宗像郡の中津宮であり、奥島よりは陸地に近い小島である。〔蹴形之邊津宮〕むなかたのへつみや。前々項参照。記には「田寸津比売」、紀にも「湍津姫」を祭るとあるが、神社の伝えでは「市杵島姫」を祭るとある。所在地は「田島」というが、「辺津」の語から見て、もと海辺であったのであろう。
田中孝顕 注釈

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