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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 神武天皇 】

原 文
故、如レ此、言二│向│徘│和荒夫琉突等、【夫琉二字、以レ音。】膠二撥不レ伏人等一而、坐二畝火之白檮原宮、治二天下一也。故、坐二日向一時、娶二阿多之小橋君妹、名阿比良比賣一【自レ阿以下五字、以レ音。】生子、多藝志美美命、筱岐須美美命、二柱坐也。然、更求下爲二大后一之美人上時、大久米命曰、此間有二江女。是謂二突御子。其館三│以謂二突御子一隅、三嶋湟咋之女、名勢夜陀多良比賣、其容姿麗美故、美和之大物主突、見感而、其美人爲二大便一之時、化二丹塗矢、自下其爲二大便一之溝流下下突二其美人之富登。【此二字、以レ音。下效此。】爾、其美人驚而、立走伊須須岐伎。【此五字、以レ音。】乃將二│來其矢、置二於床邊、忽成二麗壯夫。來娶二其美人一生子、名謂二富登多多良伊須須岐比賣命。亦名謂二比賣多多良伊須氣余理比賣。【是隅、惡二其富登云事、後改レ名隅也。】故、是以、謂二突御子一也。於レ是、七江女、蓆二│行於高佐士野。【佐士二字、以レ音。】伊須氣余理比賣、在二其中。爾、大久米命、見二其伊須氣余理比賣一而、以レ歌白レ於二天皇一曰、 夜揺登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志 庄加牟 爾、伊須氣余理比賣隅、立二其江女等之電。乃天皇、見二其江女等一而、御心知三伊須氣余理比賣立二於最電、以レ歌答曰、 加綾賀綾母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯揺加牟 爾、大久米命、以二天皇之命、詔二其伊須氣余理比賣一之時、見二其大久米命黥利目一而、思レ奇、歌曰、 阿米綾綾 知杼理揺斯登登 那杼佐豆流斗米 爾、大久米命、答歌曰、 袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐豆流斗米 故、其孃子、白二│之仕奉一也。 於レ是、其伊須氣余理比賣命家、在二狹井河上。天皇、幸二│行其伊須氣余理比賣之許、一宿御寢坐也。【其河謂二佐韋河一由隅、於二其河邊一山由理草多在。故、取二其山由理草之名、號二佐韋河一也。山由理草之本名、云二佐韋一也。】後、其伊須氣余理比賣、參二│入宮触一之時、天皇、御歌曰、 阿斯波良能 志豆志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀多布理泥斯 然而、阿禮坐之御子名、日子八井命。筱突八井耳命。筱突沼河耳命。【三柱】
読み下し文
故、此の如くにして、荒夫琉神等を言向け平和し、【夫琉の二字、音を以ふ。】伏はざる人等を退け撥ひたまひて、畝火の白檮原の宮に坐しまして、天の下を治しめしたまひき。故、日向に坐しませる時に、阿多の小橋の君の妹、名は阿比良比売を娶して【阿より以下の五字、音を以ふ。】生みませる子、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱坐せり。然れども、濘に大后と為む美人を求ぎし時に、大久米命曰しけらく、「此間に媛人あり。是は神の御子なりと謂ふ。其を神の御子なりと謂ふ所以は、三島湟湟咋の女、名は勢夜陀多良比売、其の容姿麗美しかりければ、美和の大物主神、見感でて、其の美人の大便に為れる時、丹塗矢に化りて、其の大便に為れる溝流の下より、其の美人の富登【此の二字、音を以ふ。下此に效ふ。】を突きけり。爾、其の美人驚きて、立ち走り伊須須岐伎。【此の五字、音を以ふ。】乃ち其の矢を将ち来て、床の辺に置きけるに、忽ち麗しき壮大に成りぬ。即ち其の美人に娶ひて生める子、名を富登多多良伊須須岐比売命と謂ふ。亦の名を比売多多良伊須気余理比売と謂ふ。【是は、其の富登と云ふ事を悪みて、後に名を改めたるなり。】故、是を以て、神の御子とは謂ふなり、是に、七たりの媛女、高佐士野に遊行びしが、【佐士の二字、音を以ふ。】伊須気余理比売、其の中に在りき。爾、大久米命、其の伊須気余理比売を見て、歌を以て天皇に白して曰ひけらく、 (一六) 大和の 高佐士野を 七往く 乙女ども 誰をし 纏かむ 爾に、伊須気余理比売は、其の媛女等の前に立てり。乃ち天皇、其の媛女等を見そなはし、御心に伊須気余理比売の最前に立てることを知りたまひ、歌を以て答へて曰りたまひしく、 (一七) かつがつも いや先立てる 愛をし 纏かむ 爾に、大久米命、天皇の命を其の伊須気余理比売に詔れる時に、其の大久米命の黥けたる利目を見て、奇しと思ひて歌曰ひけらく、 (一八) あめつつ ちどりましとと など黥ける利目 爾、大久米命、答へて歌曰ひけらく、 (一九) 乙女に 直に会はむと 我が黥ける利目 故、其の嬢子、「仕へ奉らむ。」と白しけり。 是に、其の伊須気余理比売命の家は、狭井河の上に在りき。天皇、其の伊須気余理比売の許に幸行でまして、一宿御寝ましけり。【其の河を佐韋河と謂ふ由は、其の河の辺に山由理草多かりき。故、其の山由理草の名を取りて、佐韋河と号づけたるなり。山由理草の本の名を佐韋と云ひしなり。】後に、其の伊須気余理比売、宮内に参入りし時に、天皇、御歌曰みしたまひしく、 (二〇) 葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寝し 然して生れ坐せる御子の名は、日子八井命。次に神八井耳命。次に神沼河耳命。【三柱】
丸山解説
〔畝火之白檮原宮〕大和の畝傍山の橿原の宮「かしばら」と濁るは非。畝傍山の東南麓に橿の林があり、それを伐って宮を建てられたので申す。奈良県橿原市の橿原神宮は、その址に建てられたもの。〔阿多之小橋君〕記の諸本、みな「橋」を「椅」に誤り、その後も無反省にこの誤字が用いられている。「椅」は音「イ」。「椅子」のことであり、また南天に似た木の名であって、「橋」などの意はない。字形による誤写である。神代紀、下に「吾田君小橋」とある。いま訂正する。ホノスソリノミコトの裔。「あた」は薩摩の地名。「かむあたつひめ」の項参照。この「あた」の地の首長。「をばし」は名であろう。
田中孝顕 注釈

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