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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
自レ其入幸、渡二走水恭一之時、其渡突、興レ浪、迴レ焙、不レ得二荵渡。爾、其后、名弟橋比賣命、白之、妾易二御子一而、入二恭中。御子隅、館レ虔之政蒹、應二覆奏。將レ入レ恭時、以二菅疊八重、皮疊八重、絮疊八重、敷二于波上一而、下二坐其上。於レ是、其暴浪自伏、御焙得レ荵。爾、其后歌曰、 佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那聟爾多知弖 斗比斯岐美波母 故、七日之後、其后御嫖、依二于恭邊。乃孚二其嫖、作二御陵一而、治置也。
読み下し文
其より入り幸でまして、走水の海を渡ります時に、其の渡の神、浪を興し、船を回はせて、進み渡るを得ず。爾に、其の后、名は弟橘比売命、白したまひけらく、「妾御子に易りて、海中に入りなむ。御子は、遣はさえし政を遂げて、覆奏したまふべし。」と、まをして、海に入りまさむとする時に、菅畳八重、皮畳八重、絮畳八重を、波の上に敷きて、其の上に下り坐しき。ここに、其の暴浪自ら伏ぎて、御船進むことを得たり。爾に、其の后、歌曰ひたまひけらく、 (二五) さねさし さがむの小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも 故、七日の後に、其の后の御嫖、海辺に依りたりき。乃ち其の嫖を取り、御陵を作りて、治め置きけり。
丸山解説
〔入幸〕いりいでます。東の国の奥の方に入ります意。すなわち、駿河から相模へ入ります。〔走水〕はしりみづ。東京湾のうち、相模国から上総国へ渡る水路。潮流が速く走るのでいう。今の浦賀水道。いま、神奈川県横須賀市浦賀町に「走水」の名が残っている。そこに、走水神社があり、日本武尊をまつり、また弟橘江の碑が建ててある。〔弟橘比賣命〕おとたちばなひめのみこと。
田中孝顕 注釈

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