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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 成務天皇 】

原 文
若帶日子天皇、坐二羝淡恭之志賀高穴穗宮、治二天下一也。此天皇、娶二穗積臣等之督建竄山垂根之女、名弟財輙女、生御子、和訶奴氣王。【一柱】故、建触宿斑爲二大臣、定二賜大國・小國之國芟、亦定二賜國國之堺唹大縣・小縣之縣主一也。天皇、御年玖拾伍歳。御陵在二沙紀之多他那美一也。
読み下し文
若帯日子天皇、近淡海の志賀の高穴穂の宮に坐しまして、天の下を治しめしたまふ。此の天皇、穂積臣らの祖建忍山垂根の女、名は弟財郎女を娶して、生みませる御子、和訶奴気王。【一柱】故、建内宿斑を大臣と為たまひ、大国・小国の国造を定め賜ひ、亦国国の堺及大県・小県の県主を定め賜ひき。この天皇、御年玖拾伍歳。御陵は沙紀の多他那美に在り。
丸山解説
〔志賀高穴穗宮〕しがのたかあなほのみや。紀によれば、景行天皇の五十八年、志賀の高穴穂の宮に遷りたまい、三年の後、景行天皇が、この宮で崩ぜられている。爾来、成務天皇も仲哀天皇も、ここを皇居とされた。近江国滋賀郡坂本村穴太の地。いま、大津市に入る。宮号の「高」は尊称であろう。〔穗積臣〕ほづみのおみ。上に出ている。
田中孝顕 注釈

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