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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 応神天皇 】

原 文
一時、天皇、越二幸羝淡恭國一之時、御二│立宇遲野上、望二犖野、歌曰、  知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由 故、到二│坐木幡村一之時、麗美孃子蓚二其蕈衢。爾、天皇、問二其孃子一曰、汝隅誰子。答白、丸邇之比布禮能意富美之女、名宮主矢河枝比賣。天皇、來詔二其孃子、吾明日裝幸之時、入二坐汝家。故、矢河枝比賣、委曲語二其父。於レ是、父答曰、是隅天皇坐那理。【此二字、以レ音。】恐之、我子、仕奉云而、嚴餝二其家、候待隅、明日入坐。故、獻二大御饗一之時、其女矢河枝比賣命、令レ孚二大御酒盞一而獻。於レ是、天皇、任レ令レ孚二其大御酒盞一而御歌曰、 許能聟邇夜 伊豆久能聟邇 毛毛豆多布 綾奴賀能聟邇 余許佐良布 伊豆久邇伊多流 伊知遲志揺 美志揺邇斗岐 美本杼理能 聟豆伎伊岐豆岐 志那陀由布 佐佐那美遲袁 須久須久登 和賀伊揺勢婆夜 許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 宇斯呂傳波 袁陀弖呂聟母 波那美波志 比比斯那須 伊知比韋能 和邇佐能邇袁 波綾邇波 波陀阿可良氣美 志波邇波 邇具漏岐由惠 美綾具理能 曾能那聟綾邇袁 加夫綾久 揺肥邇波 阿弖受 揺用賀岐 許邇加岐多禮 阿波志斯袁美那 聟母賀登 和賀美斯古良 聟久母賀登 阿賀美斯古邇 宇多多氣陀邇 牟聟比袁流聟母 伊蘇比袁流聟母 如レ此御合、生御子、宇遲能和紀【自レ宇下五字、以レ音。】郎子也。
読み下し文
一時、天皇、近淡海国に越え幸でましし時に、宇遅野の上に、御立たして、犖野を望けまして、歌曰ひたまひけらく、 (四二) 千葉の 犖野を見れば ももちだる 家場も見ゆ 国のほも見ゆ 故、木幡の村に到りませる時に、麗美しき嬢子に其の道衢に遇ひたまへり。爾に、天皇、其の嬢子に問はして、「汝は誰が子ぞ。」と曰りたまひければ、答へて白しけらく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売。」と、まをしき。天皇、即ち其の嬢子に詔りたまひけらく、「吾明日還幸りまさむ時、汝の家に入り坐さむ。」と、のりたまひき。故、矢河枝比売、委曲に其の父に語れり。ここに、父の答曰ひけらく、「是は天皇に坐す那理。【この二字、音を以ふ。】恐し、我が子、仕へ奉れ。」と云ひて、厳しく其の家を餝りて、候ひ待てば、明くる日入り坐しぬ。故、大御饗を献る時に、其の女矢河枝比売命に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに、天皇、其の大御盞を取らしめながら、御歌曰みしたまひけらく、 (四三) この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 都奴賀の蟹 横去らふ いづくに到る 伊知遅志麻 三島に着き みほどりの 潜き息づき 志那たゆふ ささなみ路を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 会はしし少女 後ろでは 小楯ろかも 歯並はし 菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 終土は に黒ぎ故 三栗の 其の中つ土を 頭衝く 真日には当てず 眉がき濃にかき垂れ 会はしし女 かもがと 我が見し子ら 斯くもがと 吾が見し子に うたたけだに 向かひをるかも い添ひをるかも かくて、御合ひまして、生みませる御子ぞ、宇遅能和紀【字より下の五字、音を以ふ。】郎子にはましましける。
丸山解説
〔一時〕あるとき。「かつて、ある時」の意。前にさかのぼっていう。〔羝淡恭國〕ちかつあふみのくに。近江国。底本の訓「あふみのくに」は、上来の訓の例に反する。〔宇遲野上〕うぢののへ。宇治の野のあたり。「うぢぬのうへ」の訓は非。「宇治」は山城国の地。上に出ている。〔犖野〕かづの。「かづぬ」は非。京都盆地一帯の地域の古称。犖野・乙訓・紀伊三部の汎称。和名抄は「加止乃」「加度乃」と訓じている。「犖」は「かづら」の略。かづらの生え茂った野の意の地名。〔知婆能〕千葉の。葛には多くの葉のあることから「犖野」に冠する枕詞。一説、この地域を「ちば」とも称したと。それなら枕詞ではない。千葉県や東京都に犖飾などの地がある。〔加豆怒〕「怒」は「ノ」の甲類。犖野。〔毛毛知陀流〕「ちだる」は「とだる」の転。きわめて富み足る。
田中孝顕 注釈

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