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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 仁徳天皇 】

原 文
此之御世、抖寸河之西、有二一高樹。其樹之影、當二旦日一隅、莚二淡蕈嶋、當二夕日一隅、越二高安山。故、切二是樹一以作レ焙。甚捷行之焙也。時、號二其焙、謂二枯野。故、以二是焙、旦夕酌二淡蕈嶋之繊泉、獻二大御水一也。枴焙破壞以、燒レ鹽、取二其燒虔木、作レ琴、其音、響二七里。爾、歌曰、 加良怒袁 志本爾夜岐 斯賀阿揺理 許登爾綾久理 加夜比久夜 由良能斗能 斗那加能伊久理爾 布禮多綾 那豆能紀能 佐夜佐夜 此隅、志綾歌之歌羮也。
読み下し文
此の御世に、免寸河の西のかたに、一の高き樹ありけり。其の樹の影、旦日に当たれば、淡道島に逮び、夕日に当たれば、高安の山を越えけり。故、是の樹を切りて、船を作りしに、甚捷く行く船なりき。時に、其の船を号づけて、枯野とぞ謂ひける。故、是の船を以て、旦夕に淡道路の寒泉を酌みて、大御水を献りけり。枴の船、破れ壊れたるを以て、塩に焼き、其の焼け遺れる木を取りて、琴に作りたりしに、其の音、七里に響きわたれり。爾、歌曰ひけらく、 (七五) 枯野を 塩に焼き 斯が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門の 門中のいくりに 触れ立つ なづの木の さやさや 此は、志都歌の歌返なり。
丸山解説
〔抖寸河〕諸本「抖」に作る。記伝は「兎の字なるべしと思はるれども、さる河の名思ひ得ず」と述べている。いま、訓を欠く。武田童吉氏は「免寸河」と訓じ、「安寧天皇」の皇居、片塩の浮穴の宮は、大阪府中河内郡で、その浮穴と同地とすれば、大和川の、もと北折して、高安の西を流れるあたりをいうと思われる。」(記紀歌謡集全講)と述べている。これは大きな誤りである。
田中孝顕 注釈

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