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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
天地初發之時、於二高天原一成突名、天之御中主突。【訓高下天云阿揺下效此】筱高御籥厥日突。筱突籥厥日突。此三柱突隅、竝獨突成坐而隱レ身也。筱國稚、如二浮脂一而、久羅下那洲多陀用幣琉之時、【琉字以上十字以音】如二葦牙一因二萌騰之物一而成突名、宇揺志阿斯訶備比古遲突。【此突名以音】筱天之常立突。【訓常云登許訓立云多知】此二柱突亦濁突成坐而隱レ身。
上件五柱突隅、別天突。
読み下し文
天地の初めて発けし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。【高の下の天をアマと云ふ。下、これに效ふ。】次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して身を隠したまひき。次に国稚く、浮かべる脂の如くにして、海月如す漂へる時に、【琉の字より上の十字は、音を以ふ。】葦牙の如萌え騰る物に因りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遲神。【此の神の名は、音を以ふ。】次に天之常立神。【常を訓みてトコと云ひ、立を訓みてタチと云ふ。】此の二柱の神も独神成り坐して身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は、別天神。
丸山解説
〔天地初發之時〕あめつちのはじめてひらけしとき。神代紀、上に、「開闢之初」とあり、万三の三一七にも、八の一五二〇にも「天地の分れし時」とある。底本は、「天地初発之時」と訓じているが、これでは「発」の字を無視したことになる。
「天地開闢」とか「天地剖判」とかの思想は、シナ思想に基づくものであり、記もまた、これによるものである。記伝のいうように、紀のみが漢文の潤色によるものでない証拠である。その源泉は、「三五歴記」「述異記」「五運歴年記」等にあるところの、いわゆる磐古神話である。高木敏雄氏著「比較神話学」(一六五頁)に「日本神話の天地開闢説に関する、教個の源泉は、支那思想の影響を示す事著し。」とある。〔高天原〕たかあまのはら。訓注によれば、当然、かく訓ずべきである。上代語には、省音が多い。
省音とは、複合語(接頭語の付いたものをも複合語と見なす)において、上の語の末の音韻に、下の語の頭の音韻が吸収されて消失する現象をいう。したがって、taka-amaがtaka-maとなることは、あるべきであるが、ここは、延本の訓「たかあまのはら」に従う。神々の住んでいたと信じられた世界の意で、古代人の信じていた世界共通の思想である。ちなみに、チェンバレンの古事記英訳では、"the Plain of High Heaven"とし、ディクスンのインドネシア神話の英訳には、"the upper sky world"とある。〔天之御中主突〕あめのみなかぬしのかみ。神代紀、上、一書には、「天御中主尊」とある。恐らく、この神の名は、シナ神話の「中主王」の翻案であろう。高天の原の中央にましまして、宇宙を支配する主(大人)の意。〔高御籥厥日突〕たかみむすひのかみ。記伝・底本が「産巣日」を「むすび」と訓ずるは非。「むすび」は後世の訛。神代紀、上、一書に「皇産霊、此云二美武須豐。」とあり、和名抄にも「无須比」とある。「むす」は「草むす」「苔むす」などの「むす」で、「生・産」の意。「ひ」は霊力。高天原にましまして、天地万物を生産する霊力ある神。下の「神産巣日神」も同様の意の神名。〔三柱〕みはしら。「はしら」は、神・貴人などをかぞえるに用いる語。底本の訓「みばしら」は非。延本の訓「みはしら」に従う。
田中孝顕 注釈
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