以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。
丸山林平「定本古事記」
- 上巻 -
【 神代の物語 】
原 文
故、濘且裝來、問二其大國主突、汝子等、事代主突・建御名突二突隅、隨二天突御子之命、勿レ蕋白訖。故、汝心奈何。爾、答白之、僕子等二突隨レ白、僕之不レ蕋。此葦原中國隅、隨レ命蝉獻也。唯僕住館隅、如二天津御子之天津日繼館レ知之、登陀流【此三字以音。下效此】天之御厥一而、於二底津石根一宮柱布斗斯理【此四字以音】於二高天原一氷木多聟斯理【多聟斯理四字以音】而治賜隅、僕隅於二百不レ足找十脾手一隱而侍。亦僕子等百找十突隅、來找重事代主突、爲二突之御尾電一而仕奉隅、蕋突隅非也。如レ此之白而、於二出雲國之多藝志之小濱一芟二天之御舎一【多藝志三字以音】而、水竿突之孫、櫛找玉突爲二膳夫、獻二天御饗一之時、板白而、嫖找玉突化レ鵜、入二恭底、咋二│出底之波邇、【此二字以音】作二天找十豐良聟一【此三字以音】而、受二恭布之柄、作二燧臼、以二恭蓴之柄一作二燧杵一而、鑽二│出火一云、是我館レ燧火隅、於二高天原一隅、突籥厥日御督命之登陀流天之新厥之凝烟【訓凝烟云洲須】之找軽垂庄弖燒擧、【摩弖二字以音】地下隅、於二底津石根一燒凝而、栲繩之千尋繩打延、爲レ釣恭人之口大之尾欽鱸【訓鱸云須受岐】佐和佐和邇【此五字以音】澡依謐而、拆竹之登蘚蘚登蘚蘚邇、【此七字以音】獻二天之眞魚咋一也。故、建御雷突、羮參上、復下│奏言二│向│和│徘葦原中國一之寔上。
読み下し文
故、更に且還り来て、其の大国主神に問ひたまひしく、「汝が子等、事代主神・建御名方神、二神は、『天つ神の御子の命の随に違はじ。』と白し訖りぬ。故、汝が心奈何ぞ。」と、とひたまひき。爾に、答へ白しけらく、「僕が子等二神の白しし随に、僕も違はじ。此の葦原の中つ国は、命の随に既に献らむ。唯、僕の住所をば、天つ神の御子の天つ日継知らしめさむ登陀流【この三字、音を以ふ。下これに效ふ。】天の御巣如して、底つ石根に宮柱布斗斯理、【この四字、音を以ふ。】高天の原に氷木多迦斯理【多迦斯理の四字、音を以ふ。】て治めたまはば、僕は百足らず找十脾手に隠りて侍らひなむ。亦僕が子等、百找十神は、即ち找重事代神、神の御尾前となりて仕へ奉らば、違ふ神はあらじ。」と、まをしき。かく白せば、出雲国の多芸志の小浜に、天の御舎を作り【多芸志の三字、音を以ふ。】て、水戸の神の孫嫖找玉神を膳夫となして、天の御饗献る時に、板き白して、櫛找玉神、鵜に化りて海の底に入り、底の波邇【この二字、音を以ふ。】を咋ひ出でて、天の找十豐良迦【この三字、音を以ふ。】を作りて、海布の柄を鎌りて燧臼に作り、海蓴の柄を燧杵に作りて、火を鑽り出だして、云ひけらく、「是の我が燧れる火は、高天の原には、神産巣日御祖命の登陀流天の新巣の凝烟【凝烟を訓みてススと云ふ。】の、找軽垂るまで焼き挙げ、【摩弖の二字、音を以ふ。】地の下は、底つ石根に焼き凝らして、栲縄の千尋縄打ち延へ、釣らせる海人の口大の尾翼鱸【鱸を訓みて、スズキと云ふ。】佐和佐和邇【この五字、音を以ふ。】控き依せ騰げて、拆き竹の登遠遠登遠遠邇【この七字、音を以ふ。】天の真名咋献らむ。」と、まをしき。故、建御雷神、返り参上りて、葦原の中つ国を言向け和平したる状を復奏したまひき。
丸山解説
〔裝來〕かへりきて。信濃国洲羽から出雲国へ帰って来て。〔天津日繼〕あまつひつぎ。「日」は「日の神」。天照大神の御系統を嗣ぐこと。皇位。ただし、原始時代には「火」を最も大切にし、首長は「火」を保持することをつかさどるので、「日」を「火」の借字とし、「火継ぎ」の意に解することもできよう。〔登陀流天之御厥〕とだるあめのみす。「あまの」の訓には従わぬ。「とだる」は「富み足る」の略転。転じて「りっぱな」の意。松岡静雄は、南方渡来語と言うが、例の奇説である。「あめの」は美称。
田中孝顕 注釈
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