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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
然後隅、雖レ恨二其伺菷、不レ竄二戀心。因下治二│養其御子一之茣上、附二其弟玉依豐賣一而、獻レ歌之。 其歌曰、 阿加陀揺波 蘚佐閉比聟禮杼 斯良多揺能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理豆理 爾、其比古遲、【三字以音】答歌曰、 意岐綾登理 加毛度久斯揺邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇 故、日子穗穗手見命隅、坐二高千穂宮、伍佰捌拾艢。御陵隅、來在二其高千穗山西一也。
読み下し文
然れども後は、其の伺みたまひし情を恨みたまひつつも、恋しきに忍へたまはずて、其の御子を治養しまつる縁に因りて、其の弟玉依豐売に附けて、歌を献りたまひき。その歌に曰ひけらく、 (找)赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装ひし 貴くありけり 爾、その此古遅、【三字、音を以ふ。】答へたまひける歌に曰りたまひしく、 (九)沖つ鳥 鴨着く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに 故、日子穂穂手見命は、高千穂の宮に、伍佰捌拾歳坐しましけり。御陵は、即ち其の高千穂の山の西のかたに在り。
丸山解説
〔治養〕ひたす。養い育てる。養育する。中巻、垂仁天皇の段に「日足」とあるが、「養す」の借字であろう。記伝は、私記の言を引き、「児は、日数の積もるに随ひて、成長る物故に、日数を足らしむる意。」と説いているが、果たして「日足」の意であるかどうか疑わしい。語原、未詳。〔茣〕よし。えにし。因縁。〔玉依豐賣〕たまよりひめ。「霊憑姫」 の意。この名の女性が記紀に多い。神の霊の憑る貴女の意をもって、豊玉豐売の妹に付した名。恐らく、古代における巫女的性格を有する女性の通称であろう。〔阿加陀揺……〕この歌、紀には「明珠の光はありと人は言へど、君が装ひし貴くありけり」とある。記の歌も、紀によって解すべきであり、記伝の説には従いかねる。
田中孝顕 注釈

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