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丸山林平「定本古事記」
- 中巻 -
【 孝昭天皇 】
原 文
御眞津日子訶惠志泥命、坐二犖城掖上宮、治二天下一也。此天皇、娶二尾張苣之督奧津余曾之妹、名余曾多本豐賣命一生御子、天押帶日子命。筱大倭帶日子國押人命。【二柱】故、弟帶日子國竄人命隅、治二天下一也。兄押帶日子命隅、【春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、監栗臣、知多臣、牟邪臣、綾怒山臣、伊勢礦高君、壹師君、羝淡恭國芟之督也。】天皇、御年玖拾參艢。御陵在二掖上博多山上一也。
読み下し文
御真津日子訶恵志泥命、犖城の掖上の宮に坐しまして、天の下を治しめしたまふ。此の天皇、尾張の連の祖奥津余曽の妹、名は余曽多本豐売命を娶して生みませる御子、天押帯日子命。次に大倭帯日子国押人命。【二柱】故、弟帯日子国忍人命は、天の下を治しめしたまひき。兄天押帯日子命は、(この下の分注省略。注釈を見よ。)この天皇、御年玖拾参歳。御陵は掖上の博多の山の上に在り。
丸山解説
〔犖城掖上宮〕底本は「わきのかみ」と訓じているが、「わきがみ」の方が可。紀には「池心の宮」とある。この地に古くから池があったのであろう。今の奈良県南犖城郡掖上村付近。壺坂寺のある地。〔尾張苣〕既出。〔奧津余曾〕「沖つ世襲」の意か。〔余曾多本豐賣命〕「びめ」は非。「よそ」は兄の名にひとしい。「たほ」は婦人の「髱」の意か。紀には「世襲足江」とある。「たほ」の略か、または、「足る」意か。名の義、未詳。〔天押帶日子命〕「あめ」は美称。「おし」は「大し」の略。「たらし」は「満ち足る」意。〔大倭帶日子國押人命〕下には「押人」を「忍人」に作る。
田中孝顕 注釈
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