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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
自二其國一越二科野國、乃言二│向科野之坂突一而、裝二│來尾張國、入二│坐先日館レ期美夜受比賣之許。於レ是、獻二大御食一之時、其美夜受比賣、捧二大御酒盞一以獻。爾、美夜受比賣、其於二意須比之襴一【意須比三字、以音。】著二月經。故、見二其月經、御歌曰、 比佐聟多能 阿米能聟具夜揺 斗聟揺邇 佐和多流久豐 比波煩曾 多和夜賀比那袁 揺聟牟登波 阿禮波須禮杼 佐泥牟登波 阿禮波意母閉杼 那賀豆勢流 意須比能須蘇爾 綾紀多知邇豆理 爾、美夜受比賣、答二御歌一曰、 多聟比聟流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多揺能 登斯賀岐布禮婆 阿良多揺能 綾紀波岐閉由久 宇倍那宇倍那 岐美揺知賀多爾 和賀豆勢流 意須比能須蘇爾 綾紀多多那牟余 故爾、御合而、以二其御刀之草那藝劔、置二其美夜受比賣之許一而、孚二伊燮岐能山之突一幸行。
読み下し文
其の国より科野国を越えまして、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来まして、先の日に期りたまへる美夜受比売の許に入り坐しぬ。ここに、大御食を献る時に、其の美夜受比売、大御酒盞を捧げて献る。爾に、美夜受比売、其の意須比の襴に、【意須比の三字、音を以ふ。】月経着きたり。故、其の月経を見たまひて、御歌曰みしたまひけらく、 (二八) ひさかたの 天の香具山 利鎌に さ渡る鵠 弱細の 手弱腕を 纏かむとは 吾はすれど さ寝むとは 吾は思へど 汝が着せる 襲の裾に 月経立ちにけり  爾、美夜受比売、御歌に答へて、曰ひけらく、  (二九) たかひかる 日の御子 やすみしし 我が大王 あらたまの 年が来経れは あらたまの 月は来経行く うべなうべな 君待ちがたに 我が着せる 襲の裾に 月経たたなむよ 故爾に、御合ひまして、其の御刀の草那芸の剣を、其の美夜受比売の許に置きて、伊服岐の山の神を取りに幸で行きましき。
丸山解説
〔科野國〕しなののくに。信濃国。今の長野県全域。「しなぬ」は誤訓。〔坂突〕さかのかみ。この坂は信濃国伊那郡から美濃国恵那郡に越える恵奈が岳の山道。そこの土豪。〔意須比〕襲。衣服の名。「おそひ」に通ずる。「かつぎ」とも言う。上代、男女共に用い、顔を隠すために、頭からかぶり、衣の裾まで垂した長い布。のち、もっぱら女子が神をまつる時に、儀礼用として用いるに至った。〔月經〕つき。記伝は、ここは「さはりもの」と訓ずべしとし、歌中の「つき」は「月」の意とするが、必ずしも妥当でない。歌中の「つき」も「月経」と「月」とをかけて言っているので、ここも、やはり「つき」と訓ずる方が可。女子が月々に見る経水のこと。つきのさわり。げっけい。
田中孝顕 注釈

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