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丸山林平「定本古事記」
- 中巻 -
【 応神天皇 】
原 文
又、吉野之國主等、瞻二大雀命之館レ佩御刀、歌曰、 本牟多能比能美古 意富佐邪岐 意富佐邪岐 波加勢流多知 母登綾流藝 須惠布由 布由紀能須 加良賀志多紀能 佐夜佐夜 又、於二吉野之白檮上、作二熹臼一而、於二其熹臼一醸二大御酒、獻二其大御酒一之時、整二口鼓、爲レ伎而、歌曰、 加志能布邇 余久須袁綾久理 余久須邇 聟美斯意富美岐 宇揺良爾 岐許志母知袁勢 揺呂賀知 此歌隅、國主等獻二大贄一之時時、恆至二于今、詠之歌隅也。
読み下し文
又、吉野の国主等、大雀命の佩かせる御刀を瞻て、歌曰ひけらく、 (四八) 本牟多の日の御子 大雀 大雀 佩かせる大刀 本剣 末ふゆ 冬木如す 枯が下木の さやさや 又、吉野の白檮の上に、横臼を作りて、其の横臼に大御酒を醸み、其の大御酒を献る時に、口鼓を撃ち、伎を為して、歌曰ひけらく、 (四九) 白檮の生に 横臼を作り 横臼に 醸みし大御酒 うまらに 聞しもち飲せ まろが主
丸山解説
〔吉野〕えしの。「えしぬ」の訓は誤り。大和国の地名。上に出ている。〔國主〕くず。「主」は「巣」「栖」などと同趣の字音仮名。「国主」などの意ではない。「くず」のことは、中巻、神武天皇の段に述べてある。〔本牟多能比能美古〕誉田の日の御子。すなわち応神天皇の日嗣の御子。底本が「本牟多」を「ほむだ」と訓じているのは、「品陀」を「ほむだ」と誤訓したことに基因する誤訓である。ここの「多」は「タ」の音を表わした字音仮名である。そのことは、宣長自身、「仮字の事」の条の表に示している。自家撞着である。「ほむた」のことは、上に述べてある。
田中孝顕 注釈
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