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丸山林平「定本古事記」
- 下巻 -
【 仁徳天皇 】
原 文
天皇、戀二八田若輙女、賜二虔御歌。其歌曰、 夜多能 比登母登須宜波 古母多受 多知聟阿禮那牟 阿多良須賀波良 許登袁許曾 須宜波良登伊波米 阿多良須賀志賣 爾、八田若輙女、答歌曰、 夜多能 比登母登須宜波 比登理袁理登母 意富岐彌斯 與斯登岐許佐婆 比登理袁理登母 故、爲二八田若輙女之御名代、定二八田部一也。
読み下し文
天皇、八田若郎女を恋ひたまひて、御歌を賜はり遣りたまひき。その歌に曰りたまひけらく、 (六五) 八田の 一本菅は 子持たず 立ちか荒れなむ あたら菅原 言をこそ 菅原と言はめ あたら清し女 爾、八田若郎女、答へて歌曰ひけらく、 (六六) 八田の 一本菅は ひとり居りとも 大君し よしと聞さば ひとり居りとも 故、八田若郎女の御名代と為て、八田部を定めたまひき。
丸山解説
〔八田若輙女〕やたのわきいらつめ。既出。ウヂノワキイラツコの同母妹であり、仁徳天皇の異母妹であるが、紀によれば、皇后磐之媛命の薨去後、皇后となられた。肉親相婚である。〔夜多能比登母登須宜〕矢田の一本菅。「やた」は大和国添下郡矢田郷。八田若郎女は、この地名を負う。既出。「ひともとすげ」は「一本菅」。上巻の歌謡に「一本薄」とある類。「矢田の野に生えている一本菅」で、八田若郎女をたとえていう。
田中孝顕 注釈
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