以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。
丸山林平「定本古事記」
- 上巻 -
【 神代の物語 】
原 文
此時、伊邪那岐命、大歡喜詔、吾隅生二生子一而、於二生絏一得二三貴子。來、其御頸珠之玉緒母由良邇【此四字以音。下效此】取由良聟志而、賜二天照大御突一而詔之、汝命隅館レ知二高天原一矣、事依而賜也。故、其御頸珠名謂二御倉板擧之突。【訓板擧云多那】筱詔二月讀命、汝命隅館レ知二夜之食國一矣、事依也。【訓食云袁須】筱詔二建芫須佐之男命、汝命者隅館レ知二恭原一矣、事依也。故、各隨二依賜之命、館二知看一之中、芫須佐之男命、不レ治二館レ命之國一而、八拳須至二于心電一啼伊佐知伎也。【自伊下四字以音。下效此。】其泣寔隅、呟山如二枯山一泣枯、河恭隅悉泣乾。是以、惡突之音、如二狹蠅一皆涌、萬物之妖悉發。故、伊邪那岐大御突、詔二芫須佐之男命、何由以汝不レ治下館二事依一之國上而、哭伊佐知流爾、答白、僕隅欲レ罷二妣國根之堅洲國一故哭。爾、伊邪那岐大御突大忿怒詔、然隅、汝不レ可レ住二此國一乃、突夜良比爾夜良比賜也。【自夜以下七字以音】故、其伊邪那岐大突隅、坐二淡路之多賀一也。
読み下し文
此の時、伊邪那岐命、大く歓喜ばして詔りたまひしく、「吾は子生み生みて、生みの終に三の貴子を得たり。」とのりたまひて、其の御頸珠の緒母由良邇【この四字、音を以ふ。下これに效ふ。】取り由良迦して、天照大御神に賜ひて詔りたまひしく、「汝が命は高天原を知らせ。」と事依さし賜ひき。故、其の御頸珠の名を御倉板挙の神と謂す。【板挙を訓みてタナと云ふ。】次に月読命に詔りたまひしく、「汝が命は、夜の食す国を知らせ。」と事依さしたまひき。【食を訓みてヲスと云ふ。】次に建速須佐之男命に詔りたまひしく、「汝が命は海原を知らせ。」と事依さしたまひき。故、各依さしたまへる命の随に知しめす中に、速須佐之男命は、命さしたまへる国を治さずて、八拳須の心前に至るまで啼き伊佐知伎。【伊より以下の四字、音を以ふ。下これに效ふ。】其の泣く状は、青山を枯山如す泣き枯らし、河海を悉に泣き乾しき。ここをもて、悪ぶる神の音、狭蠅如す皆涌き、万の物の妖悉に発りき。故、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまひしく、「何とかも汝は事依させる国を治らさずて、哭き伊佐知る。」とのりたまへば、答へて白したまひしく、「僕は妣の国、根の堅洲国に罷らむと欲ふが故に哭く。」とまをしたまひき。爾に、伊那那岐大御神、大く忿怒らして詔りたまひしく、「然らば、汝は此の国には、な住みそ。」とのりたまひて、神夜良比爾夜良比たまひき。【夜より以下七字、音を以ふ。】故、其の伊邪那岐大神は、淡路の多賀に坐しますなり。
丸山解説
〔伊邪那岐命〕真本等、「岐」を「伎」に誤る。「伎」は「キ」。底本・延本に従う。〔貴子〕うづのみこ。とうとい子。紀は「珍」に作り、「宇図」と注している。万六の九七三には「宇頭」、祈年祭にも「宇豆」とあり、「貴」は「うづ」と訓ずべきである。〔母由良邇〕「も」は「ま」に通ずる。「ま」は「玉」の上略。玉がゆらゆらとゆらぎ、触れ合って鳴るさまの副詞。神代紀、上、一書に「瓊響潦潦、此云二奴儺等母母由羅爾。」とある。〔由良聟志而〕ゆらかして。揺り動かして。〔事依而〕ことよさし。ことをゆだねられ。任命され。「ことよす」の敬語。この「而」は、下文に徴するも衍であろう。読まぬ。〔御倉板擧之突〕みくらたなのかみ。「だな」と濁らぬ。「多那」の訓荘によるべきである。記伝に「天照大御神の、御倉に蔵め、その棚の上に安置奉りて、崇祭りたまひし故の御名なるべし。」とある。〔夜之食國〕よるのをすくに。夜を統治する国。「食す」は「治める」「流治する」意。〔恭原〕うなはら。記伝の訓「うなはら」に従う。万葉に「宇奈波良」とある。〔知看〕しろしめす。「知らす」「知ろす」を、さらに、ていねいに言う語。「統治する」の敬語。〔伊佐知〕「いさちる」(上一段)の連用。ひどく泣き。足ずりして泣き。〔如狹蠅〕さばへなす。「さ」は「五月」の「さ」、五月の蠅の如く。人にいやがられるということから、「涌く」「騒く」「悪し」などに冠する枕詞。ここは「わく」に冠している。
〔涌〕わき。諸本みな「満」に作る。恐らく字形による誤写であろう。いま、意をもって改める。神代紀、下、一書には「如二五月蠅而沸。云々。」とある。記伝も「満字は、涌の誤りなるべし。」という。〔妣〕みはは。「み」を冠して敬語に読むべきである。伊邪那美命をいう。〔根之堅洲國〕ねのかたすくに。「根」は木の根などとひとしく、地の底にある意。「竪洲」は地の底が堅い磐から成る洲であると考えたことによるのであろう。よみのくに。記伝が「かたす」を「片隅」と考えたのは恐らく非。〔突夜良比爾夜良比〕かむやらひにやらひ。「かむ」は神のうえのことについていう接頭語。「やらふ」ほ「やら」に継続の意の接尾語「ふ」の付いた語。ここは、その連用。「追いやり」を重ねて言った語。〔淡路之多賀〕あはぢのたが。底本・延本等は「淡路」を「淡海」に作る。いま、詳本・春本等の「淡路」に従う。田中頼庸校訂本は「淡道」に作る。いずれにせよ、「淡路」であり、「淡海」ではないであろう。およそ、伊邪那岐命の活動範囲は瀬戸内方面から、その以南・以西の地方に及び、淡海(近江)の辺には及んでいない。伊奘諾神社は、淡路国(兵庫県)津名郡多賀村にあり、多賀大明神とも呼ばれている。近江国(滋賀県)多賀にも伊奘諾神社があるが、恐らく、古事記の誤写本に由来するものであろうと思う。記伝その他の「淡海」説には従われぬ。
〔涌〕わき。諸本みな「満」に作る。恐らく字形による誤写であろう。いま、意をもって改める。神代紀、下、一書には「如二五月蠅而沸。云々。」とある。記伝も「満字は、涌の誤りなるべし。」という。〔妣〕みはは。「み」を冠して敬語に読むべきである。伊邪那美命をいう。〔根之堅洲國〕ねのかたすくに。「根」は木の根などとひとしく、地の底にある意。「竪洲」は地の底が堅い磐から成る洲であると考えたことによるのであろう。よみのくに。記伝が「かたす」を「片隅」と考えたのは恐らく非。〔突夜良比爾夜良比〕かむやらひにやらひ。「かむ」は神のうえのことについていう接頭語。「やらふ」ほ「やら」に継続の意の接尾語「ふ」の付いた語。ここは、その連用。「追いやり」を重ねて言った語。〔淡路之多賀〕あはぢのたが。底本・延本等は「淡路」を「淡海」に作る。いま、詳本・春本等の「淡路」に従う。田中頼庸校訂本は「淡道」に作る。いずれにせよ、「淡路」であり、「淡海」ではないであろう。およそ、伊邪那岐命の活動範囲は瀬戸内方面から、その以南・以西の地方に及び、淡海(近江)の辺には及んでいない。伊奘諾神社は、淡路国(兵庫県)津名郡多賀村にあり、多賀大明神とも呼ばれている。近江国(滋賀県)多賀にも伊奘諾神社があるが、恐らく、古事記の誤写本に由来するものであろうと思う。記伝その他の「淡海」説には従われぬ。
田中孝顕 注釈
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