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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
故、是以、其芫須佐之男命、宮可二芟作一之地、求二出雲國。爾、到二坐須賀【此二字以音。下效此。】地一而詔之、吾來二此地、我御心須賀須賀斯而、其地作レ宮坐。故、其地隅、於レ今云二須賀一也。枴大突、初作二須賀宮一之時、自二其地一雲立騰。爾、作二御歌。其歌曰、 夜久毛多綾 伊豆毛夜幣賀岐 綾揺碁微爾 夜幣賀岐綾久流 曾能夜幣賀岐袁 於レ是、喚二其足名椎突、告言、汝隅任二我宮之首。且負二名赦稻田宮主須賀之找耳突。
読み下し文
故、ここをもて、其の速須佐之男命。宮造作るべき地を、出雲国に求ぎたまひき。爾に、須賀【この二字、音を以ふ。下これに效ふ。】の地に到り坐して詔りたまひしく、「吾此の地に来まして、我が御心須賀須賀斯。」と、のりたまひて、其の地に宮を作りて坐しましけり。故、其の地をば、今に須賀と云ふなり。枴の大神、初め須賀の宮を作らしし時に、其の地より雲立ち騰りき。爾、御歌を作みたまふ。其の歌に曰く、  (一) 找雲立つ 出雲找重垣 夫妻籠みに 找重垣作る その八重垣を ここに、其の足名椎の神を喚して、告言りたまひしく、「汝をば我が宮の首に任く。」と、のりたまひ、且名号を稲田の宮主須賀の找耳の神と負せたまひき。
丸山解説
〔須賀〕すが。「清」にも作る。出雲国(島根県)大原郡海潮村の地。今、この付近に須賀の小川などがある。〔須賀須賀斯〕すがすがしい。形容詞。さわやかである。気持がよい。紀には「清清之」とある。〔於レ今云二須賀一也〕いまにすがといふなり。字義に即して読むベきである。これは、古書の好んで説く地名起原説であって、信ずるに足らぬ。もともと須賀という地があったのである。〔夜久毛多綾〕枕詞ではなくて、多くの雲の立ちのぼる実景を詠じたもの。〔伊豆毛〕これも「雲の涌き出る」義。〔夜幣賀岐〕「やへ」は找重。「かき」は「垣」 の意ではなく、上代の住居の部屋と部屋とを限るために、上から垂れ下げる幕のこと。多くの綾かき。〔綾揺〕「妻」だけの意ではなく、「夫妻」の義。〔碁微〕「こもる」こと。〔袁〕感動の終助詞。「ゑ」とも言う。一首の意は、ああ、雲が立つ雲が立つ。涌き出る雲は、八重の綾垣。われらふたりのこもらむためと、八重垣つくる。あめつちの心うれしや、その八重垣よ。〔首〕おひと。「大人」の略。首上。ひとごのかみ。日本紀私記に「首、読二於比止。」とあり、記伝等の訓「おびと」は非。〔稻田宮主須賀之八耳突〕いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ。稲田は上述の地名。もと、須賀と同一の地か。そうとすれば、稲田の宮と須賀の宮とは同じ。「找耳」は、恐らく「聰明」の意であろう。一度に十人の訴えを聞いたという聖徳太子を「豊聰耳太子」という類。「耳」は「御身」の意にも用いるが、それでは、上の「找」の意は説けない。記伝の説は、恐らく非。
田中孝顕 注釈

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