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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
爾「詔」、天津日子番能邇邇藝命「而」、離二天之石位、押二悋天之找重多那【此二字以音】雲一而、伊綾能知和岐知和岐弖、【自伊以下十字以音】於二天僑橋、宇岐士庄理、蘇理多多斯弖、【自宇以下十一字亦以音】天三│降│坐于二竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。【自久以下六字以音】故爾、天竄日命・天津久米命、二人、取二│璃天之石靫、孚二│佩頭椎之大刀、孚二│持天之波士弓、手二│挾天之眞鹿兒矢、立二御電一而仕奉。故、其天竄日命、【此隅大伴苣等之督。】天津久米命、【此隅久米直等之督也。】於レ是、詔之、此地隅、向二韓國、眞二│來│艷笠沙之御電一而、咆日之直刺國、夕日之日照國也。故、此地甚吉地詔而、於二底津石根一宮柱布斗斯理、於二高天原一氷椽多聟斯理而坐也。
読み下し文
爾に、天津日子番能邇邇芸命、天の石位を離れ、天の找重多那【この二字、音を以ふ。】雲を押し悋けて、伊都能知和岐知和岐弖、【伊より以下の十字、音を以ふ。】天の浮橋に宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、【宇より以下の十一字、音を以ふ。】竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐せり。【久より以下の六字、音を以ふ。】故、爾に、天忍日命・天津久米命、二人、天の石靫を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の真鹿児矢を手挾み、御前に立ちて仕へ奉りき。故、其の天忍日命、【こは大伴の連らの祖。】天津久米命、【こは久米の直らの祖なり。】ここに、詔りたまひしく、「此の国は韓国に向きて、竺沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地ぞ甚吉き地。」と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、高天原に氷椽多聟斯理て坐しましき。
丸山解説
〔天之石位〕あめのいはくら。「あめの」は美称。「あまの」の訓には従わぬ。「石位」は、紀に「磐座」とあり、岩乗な座所。事実は岩の胡床であろう。〔天之找重多那雲〕あめのやへたなぐも。「あめの」は美称。「找重多那雲」は、幾重にもたなびいている雲。厚い雲。ただし、事実は幾重にも立つ波を雲に比した語であろう。筆者は「天降る」を「海降る」と同義と見る。上代語では、「天」も「海」も「あま」と言った。〔伊綾能知和岐知和岐弖〕紀は「稜威之道別道別而」に作る。「いつ」は「神威」で、「勢い激しい」の意。「ちわく」は道を分けて進む。勢い激しく、道を分けつつ進んで。事実は、船で波を分けつつ進んで。〔天僑橋〕あめのうきはし。海の上に浮く橋。すなわち船。上にも出ている。〔宇岐士庄理〕延本の訓に従う。「士」は清濁両用。ここは漢音「シ」。「浮き島あり」の約。〔蘇理多多斯〕紀には「平地に立たし」とある。記伝は「そり」を「それ」の意に解し、「道をそれて立ち寄られ」と解しているが、首肯されぬ。
田中孝顕 注釈

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