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丸山林平「定本古事記」

- 上巻 -

【 神代の物語 】

原 文
故爾、詔二天宇受賣命、此立二御電一館二仕奉一愾田豐古大突隅、專館二顯申一之汝、膣奉。亦其突御名隅、汝茶仕奉。是以、愾女君等、茶二其愾田豐古之男突名一而、女呼二愾女君一之事是也。故、其愾田豐古突、坐二阿邪訶一【此三字以音。地名。】時、爲レ漁而、於二比良夫貝一【自比至夫以音。】其手見二咋合一而、沈二│残恭鹽。故、其沈二居底一之時名、謂二底度久御魂、【度久二字以音】其恭水之綾夫多綾時名、謂二綾夫多綾御魂。【自都下四字以音】其阿和佐久時名、謂二阿和佐久御魂。【自阿至久以音】於レ是、膣二愾田豐古突一而裝到、乃悉膊二聚鰭廣物鰭狹物一以、問二│言汝隅天突御子仕奉耶一之時、跳魚皆仕奉白之中、恭鼠不レ白。爾、天宇受賣命、謂二恭鼠一云二此口乎、不レ答之口一而、以二紐小刀一拆二其口。故、於レ今恭鼠口拆也。是以、御世、嶋之芫贄獻之時、給二愾女君等一也。
読み下し文
故爾に、天宇受売命に詔りたまひしく、「此の御前に立ちて仕へ奉りし愾田豐古大神をば、専ら顕はし申せる汝、送り奉れ。亦其の神の御名をば、汝負ひて仕へ奉れ。」と、のりたまひき。ここをもて、愾女君等、其の愾田豐古之男神の名を負ひて、女を愾女君と呼ぶこと、これなり。故、其の愾田豐古神、阿邪訶【この三字、音を以ふ。地の名なり。】に坐しける時に、漁して、比良夫貝【比より夫に至る、音を以ふ。】に其の手を咋ひ合はさえて、海塩に沈み残れたまひき。故、其の底に沈み居たまひし時の名を、底度く御魂【度久の二字、音を以ふ。】と謂し、其の海水の都夫多都時の名を、都夫多都御魂【都より下の四字、音を以ふ。】と謂し、其の阿和佐久時の名を、阿和佐久御魂【阿より久に至る、音を以ふ。】と謂す。ここに、愾田豐古神を送りて還り到りまして、悉に鰭の広物・鰭の狭物を追ひ聚めて、「汝は天つ神の御子に仕へ奉らむや。」と問ひし時に、諸の魚ども皆、「仕へ奉らむ。」と白しし中に、海鼠白さざりき。爾、天宇受売命、海鼠に謂ひて、「此の口や、答へざる口。」と云ひて、紐小刀もて、其の口を拆きき。故、今に海鼠の口拆けけるなり。ここをもて、御世、島の速贄献る時に、愾女君等に給ふなり。
丸山解説
〔愾女君〕さるめのきみ。上代、神陶官に職を奉じた巫人の部族の称。「君」は、その部族の首長。「女」とはいうが、必ずしも女性の意ではなく、「うずめ」の「め」を継承するもので、稗田阿礼なども、その部族の一人であるという。〔阿邪訶〕「邪」は清濁両用の仮名。ここは清。記伝は「邪」を濁音の仮名とのみ思いこんでいるので、「あざか」などと誤訓している。「あさか」という地名は各地にあるが、恐らく海などの「浅い処」の意であろう。ここの「あさか」は、伊勢国(三重県)一志郡にあり、大神宮儀式帳に「阿佐鹿」、神鳳抄に「阿射賀」などとあり、今も「大阿坂」「小阿坂」などの村名がある。また、その地の山をも「阿坂山」という。「あざか」の訓は、断じて非。〔比良夫貝〕ひらぶがひ。「ぶ」は「み」の転。「平身貝」の意で、今の「月日貝」のことであろうという。〔底度久御魂〕そことくみたま。「とく」は「着く」意。海底に着いた御魂の意。
田中孝顕 注釈

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