以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。
丸山林平「定本古事記」
- 上巻 -
【 神代の物語 】
原 文
故、火照命隅、爲二恭佐知豐古一【此四字以音。下效此。】而、孚二鰭廣物・鰭狹物。火蘚理命隅、爲二山佐知豐古一而、孚二毛殆物・毛柔物。爾火蘚理命、謂下其兄火照命、各相二│易佐知一欲上レ用、三度雖レ乞不レ許。然、蒹纔得二相易。爾、火蘚理命、以二恭佐知一釣魚綾不レ得二一魚。亦其鉤失レ恭。於レ是、其兄火照命、乞二其鉤一曰、山佐知母己之佐知佐知、恭佐知母己之佐知佐知、今各謂レ羮二佐知一之時、【佐知二字以音】其弟火蘚理命、答曰、汝鉤隅、釣レ魚、不レ得二一魚、蒹失レ恭。然、其兄強乞磆。故、其弟破二御佩之十軽劔、作二五百鉤一雖レ償不レ孚、亦作二一千鉤一雖レ償不レ受、云三憑欲レ得二其正本鉤。
読み下し文
故、火照命は、海佐知豐古【この四字、音を以ふ。下これに效ふ。】と為て、鰭の広物・鰭の狭物を取りたまひ、火遠理命は、山佐知豐古と為て、毛の殆物・毛の柔物を取りたまひき。爾に、火遠理命、其の兄火照命に、「各佐知相易へて用ひむ。」と謂ひて、三度乞はししかども許さざりき。然れども、遂に纔に相易へることを得たまひき。爾、火遠理命、海佐知を以ちて魚釣らすに、都て一つの魚をも得たまはず。亦其の鉤をさへ海に失ひたまひき。ここに、其の兄火照命、其の鉤を乞ひて曰しけらく、「山佐知も己が佐知佐知、海佐知も己が佐知佐知。今は各佐知返さむ。」と謂しし時に、【佐知の二字、音を以ふ。】其の弟火遠理命、答へて曰りたまはく、「汝の鉤は、魚釣りしに、一つの魚をも得ずて、遂に海に失ひてき。」と、のりたまひき。然れども、其の兄強ちに乞ひ徴りき。故、其の弟、御佩かせる十軽の剣を破りて、五百鉤を作りて償ひたまへども取らず、亦一千鉤を作りて償ひたまへども受けずて、「猶其の正本の鉤を得む。」とぞ云ひける。
丸山解説
〔恭佐知豐古〕うみさちひこ。「びこ」の訓は非。延本の訓に従う。紀は「海幸彦」に作る。ここの「さち」は漁猟による幸福・利得を得る意。海で漁を営む男性。〔山佐知豐古〕やまさちひこ。「びこ」の訓は非。前項の対。紀は「山幸彦」に作る。〔毛殆物・毛柔物〕けのあらものけのにこもの。毛の荒い獣、毛の柔い獣。もろもろの獣。「けのにこもの」を「鳥」とする説には従わぬ。「鰭の広物、鰭の狭物」に対する語だからである。記伝の説が正しい。〔各〕おのもおのも。めいめい。記伝は、「師の説」として「たがひに」と訓じているが、下にも「各」を「おのおの」と訓じている。字義に即して読む方が可。〔佐知〕ここの「さち」は漁猟の具をいう。すなわち、幸福・利得を得るに用いる具。弓矢や釣針の類。〔恭佐知〕うみさち。海の漁に用いる具。前項参照。〔綾〕かつて。すべて。全然。「都」は「世説・賞誉」に「使二人名利之心都尽。」とあり、現代シナ語でも、「すべて」の意を「都都的」と言っている。〔鉤〕ち。底本はすべて「釣」に誤り、「つりばり」と訓じているが、延本の訓が正しい。意は「つりばり」である。「ち」は、もと「乳房」「ちくび」の「ち」であり、その形の似ているところから、まるみを帯びた小さなもの、旗・幟・幕などの「ち」、わらじの「ち」、釣鐘の表面の疣状の突起、また「釣針」をもいう。紀は「鉤」を「ち」と訓じている。また、下文にも「淤煩鉤」「貧鉤」などとあり、文字の「釣」、訓の「つりばり」共に、底本の誤りである。
田中孝顕 注釈
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