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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 安寧天皇 】

原 文
師木津日子玉手見命、坐二片鹽浮穴宮、治二天下一也。此天皇、娶二河俣豐賣之兄縣主波延之女阿久斗比賣一生御子、常根津日子伊呂泥命。【自レ伊下三字、以レ音。】筱大倭日子午友命。筱師木津日子命。此天皇之御子等、忸三柱之中、大倭日子午友命隅、治二天下。筱師木津日子命之子、二王坐。一子隅、【伊賀須知之稻置、那婆理之稻置、三野之稻置之督。】一子、知知綾美命隅、坐二淡蕈之御井宮。故、此王、有二二女。兄名蠅伊呂泥。亦名意富夜揺登久邇阿禮比賣命。弟名蠅伊呂杼也。天皇、御年肆拾玖歳。御陵在二畝火山之美富登一也。
読み下し文
師木津日子玉手見命、片塩の浮穴の宮に坐しまして、天の下を治しめしたまふ。此の天皇、河俣豐売の兄県主波延の女阿久斗比売を娶して生みませる御子、常根津日子伊呂泥命。【伊より下の三字、音を以ふ。】次に大倭日子午友命。次に師木津日子命。此の天皇の御子等、忸せて三柱の中、大倭日子午友命は、天の下を治しめしたまひき。次に師木津日子命の子、二はしらの王坐しき。一はしらの子は、【伊賀の須知の稲置、那婆理の稲置、三野の稲置の祖なり。】一はしらの子、知知都美命は、淡道の御井の宮に坐しき。故、此の王に、二はしらの女有しき。兄の名は蠅伊呂泥。亦の名は意富夜麻登久邇阿礼比売命。弟の名は蠅伊呂杼なり。この天皇、御年肆拾玖歳。御陵は畝火山の美富登に在り。
丸山解説
〔片鹽浮穴宮〕底本は「片塩」を「かたしは」と誤訓している。万五の八九二に「堅塩」とある。この誤訓から、この宮を河内にあるように考えている。「片塩」と冠したのは明らかでないが、旧都址要覧に「北犖城浮穴村」とある地。奈良県北犖城郡浮穴村大字三倉堂である。今もこの地に、北大殿・西大殿・南大殿などの地名が残っている。〔波延〕はえ。諸本「波」を「殿」に作る。「波」の草体を「殿」の草体と見誤ったことに基づくものであろう。いま、真本の傍書「波御本」に従う。紀には「葉江」とある。この地名、未詳。〔阿久斗比賣〕諸本「斗」を「計」または「許」に誤る。草体の類似による。他にも多くの例がある。いま真本に拠る。延本の頭注にも「計字、一本作レ斗。」とある。摂津の地名を負うか。〔常根津日子伊呂泥命〕「常」は永久。「根」は美称。「伊呂泥」は「いろせ」に同じ。「いろも」を「いろと」ともいう類。
田中孝顕 注釈

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