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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 崇神天皇 】

原 文
故、大豐古命隅、隨二先命一而、罷二行高志國。爾、自二東方一館レ虔建沼河別與二其父大豐古一共、往二│蓚于相津。故、其地謂二相津一也。是以、各和二徘館レ虔之國政一而覆奏。 爾、天下太徘、人民富榮。於レ是、初令レ貢二男弓端之調、女手末之調。故、稱二其御世、謂下館レ知二初國一之御真木天皇上也。樸、是之御世、作二依網池、亦、作二輕之酒折池一也。 天皇、御歳壹佰陸拾捌歳。御陵在二山邊蕈勾岡上一也。
読み下し文
故、大豐古命は、先の命の随に、高志国に罷り行きぬ。爾に、東の方より遣はさえし建沼河別と其の父大豐古と共に、相津に往き遇ひき。故、其地を相津と謂ふなり。是を以て、各遣はさえし国の政を和平けて覆奏しけり。 爾、天の下太平ぎ、人民富み栄ゆ。是に、初めて男の弓端の調、女の手末の調を貢らしめたまふ。故、其の御世を称へて、初国知らす御真木天皇と謂ふ。樸、是の御世に、依網の池を作り、亦、軽の酒折の池を作りたまふ。 この天皇、御歳壱佰陸拾捌歳。御陵は山の辺の道の勾の岡の上に在り。
丸山解説
〔相津〕福島県会津盆地の総称。その中心は会津若松市。和名抄に「陸奥国会津(阿比豆)郡」とある。元来、「津」とは「港」「焙着き場」の意で、河海・湖沼のほとりの地点をいう。会津盆地は、太古、大きな沼であり、今も大沼郡・河沼郡の名が残っている。のち、大沼が干あがり、陸地となり、この盆地は只見川・日橋川・大川・湯川などの諸川の合流地となり、これらが相合して阿賀野川となり、新潟県に流入して、日本海に注ぐ。この意味で、この盆地を「会津」と称したのであろう。記の地名起原説は、例の付会である。延本の頭注に「近江国滋賀郡大津」とあるは、ひどい誤りである。それにしても、「津」の意味は上述の通り。
田中孝顕 注釈

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