以下の丸山林平「定本古事記」は、同氏の相続人より、SSI Corporationが著作権の譲渡を受けたものである。
丸山林平「定本古事記」
- 中巻 -
【 垂仁天皇 】
原 文
此天皇、以二沙本豐賣一爲レ后之時、沙本豐賣命之兄沙本豐古王、問二其伊呂妹一曰、孰二│愛夫與一レ兄歟。答二│曰愛一レ兄。爾、沙本豐古王、謀曰、汝寔思レ愛レ我隅、將三吾與レ汝治二天下一而、來作二八鹽折之紐小刀、授二其妹一曰、以二此小刀、刺二│殺天皇之寢。故、天皇、不レ知二其之謀一而、枕二其后之御膝一而、御寢坐也。爾、其后、以二紐小刀一爲レ刺二其天皇之御頸、三度擧而、不レ竄二哀菷、不レ能レ刺レ頸而、泣撃落二│笹於御面。乃天皇、驚起、問二其后一曰、吾見二異夢。從二沙本方一暴雨零來、緝沾二吾面。樸、錦色小蛇、纏二│繞我頸。如レ此之夢、是有二何表一也。爾、其后、以二│爲不才一レ應レ爭、來白二天皇一言、妾兄沙本豐古王、問レ妾曰、孰二│愛夫與一レ兄。是不レ布二面問一故、妾答曰、愛レ兄歟。爾、誂レ妾曰、吾與レ汝共治二天下。故、當レ殺二天皇一云而、作二八鹽折之紐小刀一授レ妾。是以、欲レ刺二御頸、雖二三度擧、哀菷忽起、不レ得レ刺レ頸而、泣撃落、沾二於御面。必有二是表一焉。
読み下し文
此の天皇、沙本豐売を后と為たまへる時に、沙本豐売命の兄沙本豐古王、其の伊呂妹に問ひて曰ひけらく、「夫と兄と孰か愛しき。」と、いひければ、「兄ぞ愛しき。」と答曰へたまひき。爾に、抄本豐古王、謀りて曰ひけらく、「汝寔に我を愛しく思はば、吾と汝と天の下を治らさむ。」と、いひて、即ち八塩折の紐小刀を作りて、其の妹に授けて曰ひけらく、「此の小刀を以て、天皇の寝たまふを刺し殺せ。」と、いひき。故、天皇、其の謀を知らさずて、其の后の御膝を枕きて、御寝坐しけり。爾に、其の后、紐小刀を以て其の天皇の御頸を刺さむと、三度挙げたまひしかども、哀しき情に忍びず、頸を刺すを能ずて、泣きたまふ涙、御面に落ち溢れたり。乃ち天皇、驚き起きて、其の后に問ひて曰りたまひけらく、「吾は異しき夢を見たり。沙本の方より暴雨零り来て、急かに吾が面を沾らしぬ。樸、錦色なる小さき蛇、我が頸に纏繞れり。かかる夢、是は何の表にかある。」と、のりたまへり。爾に、其の后、争はえじと以為ほし、即ち天皇に白言しけらく、「妾が兄沙本豐古王、妾に問ひて曰ひけらく、『夫と兄と孰か愛しき。』と、是く面問へるに勝へざりしかば、妾答へて曰ひけらく、『兄ぞ愛しきか。』と、いひぬ。爾、妾に誂へて曰ひけらく、『吾と汝と共に天の下を治らさむ。故、天皇を殺せまつれ。』と云ひて、八塩折の紐小刀を作り、妾に授けつ。是を以て、御頸を刺しまつらむと欲りて、三度挙げしかども、哀しき情忽ち起りて、頸を刺しまつるを得ずて、泣きつる涙落ちて、御面を沾らしまつれり。必ず是の表にこそあらめ。」と、まをしぬ。
丸山解説
〔沙本豐賣〕「さほひめ」と読むべきこと、上に述べてある。紀、狭穂姫。古往今来、「さほびめ」などと言ったことはない。宣長だけである。しかるに、今日、なお宣長の誤訓に従っている人の多いのは、字音仮名研究の不備による。〔沙本豐古王〕「さほひこのみこ」と読む。紀、狭穂彦王。下文に「沙本比古王」ともある。同一王の名を、二様に訓じなければならぬ理由は存在しないであろう。これ、記の撰者が「豐」と「比」とを同音の仮名として用いた証拠である。この二字は、もとより漢音「ヒ」なのである。〔夫〕おっと。垂仁天皇をさす。〔愛〕「はし」は、愛する。
田中孝顕 注釈
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