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丸山林平「定本古事記」

- 中巻 -

【 倭潼命 】

原 文
然而裝上之時、山突・河突唹穴竿突皆言向和而、參上。來入二│坐出雲國、欲レ殺二其出雲潼一而、到、來結レ友。故、竊以二赤檮、作二│詐刀、爲二御佩、共沐二肥河。爾、倭潼命、自レ河先上、孚二│佩出雲潼之解置熹刀一而、詔レ爲レ易レ刀。故、後出雲潼、自レ河上而、佩二倭建命之詐刀。於レ是、倭潼命、誂云二伊奢合レ刀。爾、各拔二其刀一之時、出雲建、不レ得レ拔二詐刀。來倭潼命、拔二其刀一而、打二│殺出雲潼。爾、御歌曰、 夜綾米佐須 伊豆毛多豆流賀 波豆流多知  綾豆良佐波揺岐 佐味那志爾 阿波禮 故、如レ此撥治而、參上、覆奏。
読み下し文
然して還り上ります時に、山の神・河の神及穴戸の神を皆言向け和して、参上りましき。即て出雲国に入り坐して、其の出雲潼を殺さむ欲ほして、到りまして、即ちに友として結しみたまひき。故、竊かに赤檮を以て、刀に作り詐して、御佩と為て、共に肥河に沐したまひき。爾に、倭潼命、河より先づ上りまして、出雲潼の解き置ける横刀を取り佩かして、「刀易為む。」と詔りたまふ。故、後れて出雲潼、河より上りて、倭潼命の詐刀を佩きぬ。ここに、倭潼命、誂へて、「伊奢、刀を合はせむ。」と云りたまふ。爾、各其の刀を抜く時に、出雲潼、詐刀を抜き得ず。即ち倭潼命、其の刀を抜きて、出雲潼を打ち殺したまひき。爾、御歌曰みしたまひけらく、 (二四) やつめさす 出雲潼が 佩ける刀 黒犖多巻き さ身なしに あはれ 故、かく撥ひ治げて、参上り、覆奏したまひき。
丸山解説
〔穴竿〕あなと。紀は「穴門」に作る。記伝が「あなど」と訓じているのは、例の濁るべからざるを濁る癖から生じた誤訓である。延本の訓や紀の訓などが正しい。「水門」を「みなど」とは言わぬ。「あなと」は「海門」の転。のちの長門国である。「ながと」は「うなと」の転訛であろう。〔出雲建〕いづもたける。出雲国の械長。〔赤檮〕いちひのき。「いちひ」は「櫟」に作り、「くぬぎ」の古称。その実を「どんぐり」という。〔作詐〕つくりなす。いつわって作る。〔沐〕かはあみ。河水に浴すること。水泳。〔詐刀〕にせだち。実物は「木刀」であるが、この文字を、ただちに「こだち」と読むは意訳に過ぎる。「詐」を「作」につくる本もある。それなら「つくりだち」である。〔誂〕あとらふ。注文する。たのむ。希望する。現代語の「あつらえる」は、これから出たもの。諸本「誹」に誤る。いま、底本に従う。〔合レ刀〕たちをあはせむ。互に刀を見くらべて優劣を試みよう。
田中孝顕 注釈

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