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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 安康天皇 】

原 文
自レ此以後、天皇、坐二突牀一而、晝寢。爾、語二其后一曰二汝有レ館レ思乎。答曰、被二天皇之敦澤、何有レ館レ思。於レ是、其大后之先子、目洒王、是年七歳。是王、當二于其時一而、蓆二其殿下。爾、天皇、不レ知三其少王蓆二殿下一以、詔二大后一言、吾恆有レ館レ思。何隅、汝之子目洒王、成レ人之時、知三吾殺二其父王一隅、裝爲レ有二邪心乎。於レ是、館レ蓆二其殿下一目洒王、聞二│孚此言、橲竊伺二天皇之御寢、孚二其傍大刀一乃、打二斬其天皇之頸、膩二│入綾夫良意富美之家一也。天皇、御年伍拾陸艢。御陵在二菅原之伏見岡一也。
読み下し文
此より以後に、天皇、神牀に坐しまして、昼寝ましき。爾、其の后に語らひて、「汝は思ほすことありや。」と曰りたまへば、答へて曰しけらく、「天皇の敦き沢を被れば、何で思ふことのあらむ。」と、こたへまをしき。ここに、其の大后の先の子、目弱王、是年七歳になりたまへり。是の王、当于其時而、其の殿の下に遊びましき。爾、天皇、其の少き王の殿の下に遊びませることを知らずて、大后に詔言りたまひけらく、「吾は恒に思ほすことあり。何にといへば、汝の子目弱王、人と成りたらむ時、吾が其の父王を殺せしことを知りなば、還りて邪き心為有らむか。」と、のりたまひき。ここに、其の殿の下に遊べる目弱王、此の言を聞き取りて、即ち竊に天皇の御寝ませるを伺ひて、其の傍なる大刀を取りて、其の天皇の頸を打ち斬りまつりて、都夫良意富美の家に逃げ入りましき。この天皇、御年伍拾陸歳。御陵は菅原の伏見の岡に在り。
丸山解説
〔神牀〕かむとこ。「神」は、天皇。天皇のおやすみになる床。真本その他は「牀」を「林」または「材」に誤る。いま、延本・底本に従う。〔后〕おほきさき。「大」の字がないが、ただ「きさき」と読むは非。あるいは、「大」の字を脱したのかもしれぬ。上文にも下文にも、みな「大后」とある。〔館レ思〕おもほすこと。ここでは、心配になること。気にかかること。〔澤〕みうつくしみ。ご寵愛。〔被〕かがふる。こうむる。
田中孝顕 注釈

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