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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 雄略天皇 】

原 文
來幸二阿岐豆野一而、御獵之時、天皇、坐二御呉床。爾、合咋二御腕一來、蜻蛉來、咋二其合一而飛。【訓二蜻蛉一云二阿岐豆。】於レ是、作二御歌。其歌曰、 美延斯怒能 袁牟漏賀多氣爾 志斯布須登 多禮曾意富揺巫爾揺袁須 夜須美斯志 和賀淤富岐美能 斯志揺綾登 阿具良爾伊揺志 斯漏多閉能 蘇弖岐蘇那布 多古牟良爾 阿牟加岐綾岐 曾能阿牟袁 阿岐豆波夜具比 加久能碁登 那爾淤波牟登 蘇良美綾 夜揺登能久爾袁 阿岐豆志揺登布 故、自二其時、號二其野、謂二阿岐豆野一也。
読み下し文
即て阿岐豆野に幸でまして、御猟したまひし時に、天皇、御呉床に坐しましけり。爾に、合御腕を咋ひけるを、蜻蛉来て、其の合を咋ひて飛びいにけり。【蜻蛉を訓みて、アキツと云ふ。】ここに御歌作みしたまひけり。其の歌に曰りたまひけらく、 (九七) み吉野の 袁牟漏が岳に 猪鹿伏すと 誰ぞ大前に奏す やすみしし 我が大君の 猪鹿待つと 胡床に 坐まし 白栲の 抽着具ふ 手腓に 合かきつき その合を 蜻蛉速咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ やまとの 国を秋津島と云 故、其の時より、其の野を号づけて、秋津野とは謂ふなり。
丸山解説
〔來〕やがて。底本の訓「すなはち」には従わぬ。〔阿岐豆野〕秋津野。底本の訓「あきづぬ」は二重の誤り。「豆」は「ツ」「ヅ」の仮名。ここは「ツ」。「土」を「豆知」と訓じ、「夜麻陀表豆久理」(山田を作り)など、上に出ている。また、下文に「阿豆王」(紀「厚王」)などともある。また、「野」を「の」と読むこと、今日の学界では定説となっている。
田中孝顕 注釈

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