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丸山林平「定本古事記」

- 下巻 -

【 雄略天皇 】

原 文
又、一時、天皇、登二│幸犖城之山上。爾大慂出。來天皇、以二鳴鏑一射二其慂一之時、其慂怒而、宇多岐依來。【宇多岐三字、以レ音。】故、天皇、畏二其宇多岐、登二│坐榛上一爾、歌曰、 夜須美斯志 和賀意富岐美能 阿蘇婆志斯 志斯能 夜美斯志能 宇多岐加斯古美 和賀爾宜能煩理斯 阿理袁能 波理能紀能延陀
読み下し文
又、一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。爾に、大猪出でけり。即ち天皇、鳴鏑以て其の猪を射たまへる時に、其の猪怒りて、宇多岐依り来。【宇多岐の三字、音を以ふ。】故、天皇、其の宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐まして、歌曰みしたまひけらく、 (九八) やすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 我が逃げ登りし ありをの 榛の木の枝
丸山解説
記の、ここの記事には、葛城山に猟をしたとはないが、雄略紀五年二月に「天皇、校二│猟于葛城山。」とあるから、天皇が従臣たちを率いて葛城山に御猟をされたことは明らかである。ところで、紀によれば、その時、突然、怒り猪が草の中から走って来たので、舎人が恐れて木に登って、ぶるぶるふるえている。天皇が、その懦弱を怒られて、その舎人を斬ろうとされた時。舎人が命請いをするために詠じた歌が、記のここの歌とほとんど同じである。記では、天皇の御歌となっているが、天皇が「やすみしし、わが大君の遊ばしし」などと詠じられるはずはなく、紀の伝のとおり、これは舎人の詠である。それが、語り部などの伝誦の間に、記のような伝となってしまったものと思われる。しかし、今は、記の記事によって解しておく。
田中孝顕 注釈

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