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丸山林平「定本古事記」
- 下巻 -
【 雄略天皇 】
原 文
樸、天皇、婚二丸邇之佐綾紀臣之女袁杼比賣、幸三│行于二春日一之時、江女苡レ蕈。來見二幸行一而、膩二│隱岡邊。故、作二御歌。其御歌曰、 袁登賣能 伊加久流袁加袁 加那須岐母 伊本知母賀母 須岐婆奴流母能 故、號二其岡一謂二金午岡一也。
読み下し文
又、天皇、丸邇之佐都紀臣之女袁杼比売を婚ひに、春日に幸行でましし時、媛女道に逢へり。即ち幸行を見て、岡辺に逃げ隠りぬ。故、御歌作みしたまひけり。其の御歌に曰りたまひけらく、 (九九) 少女の い隠る岡を 金午も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの 故、其の岡を金午の岡とは謂ふなり。
丸山解説
〔丸邇之佐綾紀臣〕わにのさつきのおみ。春日の和珥の地に住んでいた豪族。春日臣と同義。「さつき」は「五月」に因む名であろう。「さ」を「い」とひとしい接頭語と見て「いつき」と解し、祠官の意とする人もあるが、もって回った考え方である。雄略紀元年三月に「春日臣深目」とあると同一人。「ふかめ」とあるから女性であり、この童女の母であるなどとする必要はない。男性にも「阿曇目」などという人もある。目のくぼんでいる人の名として、男性を「ふかめ」と称して、少しもおかしくない。
田中孝顕 注釈
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