座標
白い壁にテントウ虫がとまっている。「えっ、どこに?」「ほら、壁の右側の方に」「見えないわ。どこよ」「だから、左側の真ん中辺だよ」
このような会話は、今でも日常、よく交わされる会話である。しかし、近代以前の人類は、この、何がどこにあるかということを言い表わすのに、非常に苦労してきたのである。信じられないことだが、あるものがどこに位置しているか、近代以前では正確に表示する手段がなかった。
むろん、テントウ虫程度であれば何の問題もない。しかし、科学の分野でこのような曖昧さがあっては、それ以上の進歩は見込めない。
この問題を解決したのがデカルトである。彼は座標軸という考え方を考案し、ある物の位置を、例えばx軸でプラス54738の位置に、y軸でプラス84457の位置にある、という手法で、そのx軸とy軸の交点pに「その物」があるということを、厳密に特定させることに成功させたのである。これは画期的な発明であった。
今では中学一年の数学の授業で学ぶことになっている。
なお、座標軸の考え方はその後も発展を続け、z軸を加えて空間のある一点を特定させることも可能になり、更にはt軸を加えて空間と時間のある一点を特定させることも可能となった。
この座標軸は、たとえばx軸を北緯、y軸を東経と言い換えて、場所を特定させることにも使われる。私は生まれは東京の深川だが、米軍の絨毯爆撃を避けるため、〇歳数ヶ月で、大八車(現代っ子にはわからないだろうが、すのこのような板に大きな木の車を二つ着けたもので、主に人間が引っ張る)に乗せられて東京の山の手、中野区の鷺宮というところに転居し、二〇歳までそこで過ごした。
従って私にとっては、実質的出生地のようなものである。今考えると、この二〇年間というのは、現在だったら五〇年に相当するほど、長い期間だったと思う。
それはさておき、この懐かしい家は、北緯35度43分15秒、東経139度38分42秒にある。つまりこの交点が我が家であった。