やまと言葉がクレオールタミル語であることの論証

古典研究サイト 埋れ木

和歌弥多弗利(わかみたほり) ああ勘違い?

2023-04-06

「和歌弥多弗利」という言葉が随書倭国伝に出てくる。
「開皇二十年(推古天皇八年・AD六〇〇年)、倭王あり。姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤(たらしひこ)、阿輩鷄弥(おほきみ)と号す。使を遣はして闕(けつ)に詣(いた)らしむ。(略)王の妻は鷄弥(きみ)と号し、後宮には女六、七百人有り。太子を名づけて利歌弥多弗利と為(な)す」

利歌弥多弗利(りかみたほり)を、日本語にラ行で始まる言葉がないので、和歌弥多弗利(わかみたほり)の誤記とし、「村」をフレ、フルと読んだことから、田村皇子(のち舒明天皇)に比定する説もある。

なお、「わかみたふり」と言い習わされているが、これは別に述べるタミル語からの対応から、「わかみたほり」が正しいであろう。
確かに「リカミタフリ」がタミル語由来の言葉とすれば、「rikami」ではおかしな言葉となる[rikami=失業者(unemployed person)]うえに、日本語では語頭にr音は立たないので、これは「和(ワ)」であることは間違いない。

「村(フレ)」はタミル語ful-amに対応する。長崎県壱岐島に「○○触」として一〇〇例残存している。しかし「タフレ」は「狂(たふ)れ」に音が近く、田村をわざわざ「タフレ」というかどうか疑問である。
また「ワカミタフリ」は普通名詞のはずで、「若・御・田村」では固有名詞となってしまうなど、牽強付会の解釈であることは免れない。
「太子を名づけて和歌弥多弗利と為す」は「中国でいう太子=日本でいう和歌弥多弗利」ということである。

タミル語にkutippirappalarという言葉がある。これは「高貴な血統から生まれた人々(persons of birth, of noble lineage)という意味である。これを日本語風に言えば、クチヒラハラとかクチミタホリとかになるであろう。私は直感的にだが、この語に近い意味ではないかと思い、対応語を探した。源氏物語に「なまワカンドオリなどいふべき筋にやありけん」という表現があるからである。これは「高貴な家柄」などと訳されている。
冒頭の「わか」について、日本語には二つの語がある。

*若(わか)
●タ mak-a   1.子供(child)、幼児 (infant)、動物の子供(young of an animal)。2.息子あるいは娘(son or daughter)。3.若年 (young age)。
○日 wak-a   若(わか)。m/w対応。八丈島方言では、若婿を「バカムコ」
という。「かむろぎ」は「かぶろぎ」とも言う。 

*高貴という意味での「わか」
●タ mak-a   1. 偉大な(great)、気高い(high)、身分の高い(exalted)、品位のある(dignified)、高貴な(noble)、尊敬すべき(honourable)。2. 巨大な(immense)、莫大な(prodigious)、途方もない(stupendous)、恐るべき(monstrous)、極度の(extreme)。3.優れた(superior)、最高の(paramount)、最上無比の(superlative)。
○日 maka   摩訶(まか)、。仏教を通じてインド思想が入ってきたので、この「まか」は仏典とともにやってきたとされるが、そうでない可能性もある。サンスクリット語からの借り入れか、あるいはサンスクリット語がタミル語から借り入れたかのいずれかであろう。
○日 wak-a   わか。若宮というのは「気高い宮」、若彦は「気高い男」である。巫女のことを東北地方で「わか」、栃木県で「わか様」などというが、これも「優れた人」という意味であろう。

私は、「ワカミタフリ」の「ワカ」は「高貴な」という意味ではないかと思う。そうすると「高貴な御血統」という可能性が高くなる。タミル語にpiravar-am[血統・家柄(lineage)]という言葉がある。これは聞こえは「ピラバラ」だが、これがやまと言葉になって一千年ほど経てば、「ミラホリ」から「ミタホリ」あたりになるであろう。

こうして「太子を名づけて利歌弥多弗利と為す」というのは、「太子(皇子)を名付けて『高貴な血統』(サラブレッド)、という」という意味であることが分かる。「尊いお血筋」といったようなニュアンスであろう。piravar-amというタミル語が日本語と対応するということは、弥生時代初期からこのような階級的格差が歴然としてあった可能性を示唆するものである。

とはいえ、「太子=尊いお血筋」というのはどこかおかしい。タミル語との対応がおかしいのではなく、太子の名称としてはどこかおかしいのだ。したがって、この中国の文章は次のような遣り取りの末、書かれたものと思われる。
中国側「太子は何というのですか」
日本側「太子は尊いお血筋であります」
中国側「(仲間内同士で)太子は尊いお血筋というんだとよ。長い名だな」

史実では(いや、虚構と思われるが)、この時の太子は聖徳太子である。
だが、聖徳太子は実在の人物とはとても思えない。
中国側が、もう少し突っ込んで聞いていてくれたならば、と悔やまれる。

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