大野 晋先生の話(狭山事件)
2023-04-04
1963年5月1日に埼玉県狭山市で、高校女子1年生の誘拐殺人事件があった。
同月、被差別部落出身の石川一雄(当時24歳)が逮捕・起訴され、一審の死刑判決後に冤罪を主張したが、無期懲役刑が確定して服役した(1994年に
仮釈放)。
大野先生は、検察側証拠として提出された脅迫状について、東京高裁控訴審と第2次再審請求の二度にわたり鑑定を行ない、「脅迫状の筆跡及び文章が逮捕時の被告の稚拙な日本語能力では不可能なものであると分析し、事件を冤罪であると断じた」、と報道された。
これにつき、あれは断定したのではなく、「逮捕時の被告の稚拙な日本語能力では不可能かも知れない」と分析したに過ぎない、という認識が今日でも強いようだが、目白の料亭でお話ししたときには、「あれは冤罪ですよ。僕は細かく分析したんだ。あれはねぇ、結局僕のは受け入れられなかったんですが、変ですねぇ」と仰っていた。これは先生の方から過去を回顧するようにお話になったこと。